内田篤人、鹿島からの移籍をめぐるストーリーが感動的すぎる!

鹿島アントラーズのサポーターは内田篤人に対して弛まぬ愛情を注ぎ続けてきました。そして自身もその愛情を感じ、鹿島アントラーズとそのサポーターたちを愛し続けていました。しかし、内田篤人と鹿島サポーターの別れは唐突にやってきて、現実のものとなってしまいました。本日は内田篤人の鹿島からの移籍を巡るストーリーをお伝えします。

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内田篤人は鹿島の素晴らしい環境と、鹿島のサッカーを愛していました。サポーターからも大きな愛情と期待が注がれており、生え抜きとして優遇されていた鹿島での生活を捨て、移籍という選択をした理由はなんなのでしょうか?本日は内田篤人の移籍の真相に迫りたいと思います。

内田篤人、鹿島入団!

内田篤人は名門静岡東高校で育ち、若くしてその才能は広く認められていました。ユース年代の日本代表でも常連と言える存在で、香川真司や吉田麻也らとともに日の丸のユニフォームを背負いつづけていました。高校生だった頃は、FWやサイドハーフとしてプレーしていました。しかし、前線のアタッカーとしては壁にぶつかってしまい成長が停滞。そして静岡東高校の監督が内田篤人に対してサイドバックへのコンバートを命じたのです。このとき、「サイドバック内田篤人」が誕生しました。

アタッカーから守備者としてコンバートされ、再び成長曲線を描き出すと、そんな若き右サイドバックに対しては高校時代から多くのJリーグのスカウトが目を光らせていました。そしてそんな数あるオファーの中から、鹿島アントラーズへの入団を選択したのです。そしてこの画像が鹿島アントラーズ入団したときの内田篤人の様子です。

内田篤人、鹿島からの移籍をめぐるストーリーが感動的すぎる!

まだまだあどけない印象の内田篤人の姿です。当時はまだまだ17歳になったばかりでした。見た目の良さが鹿島サポーターのみならず、Jリーグのファンの間で既に大きな話題を呼んでいた内田篤人でしたが、その邀撃はシーズンが始まった後のそれに比べたら小さなものだったのです。

衝撃のデビュー!

当時の鹿島アントラーズの監督はブラジル人のアルトゥオリ監督でした。2006年に鹿島アントラーズの監督に就任した男は入団したばかりの内田篤人に対して大きな期待をかけていました。しかし、それまで鹿島の歴史の中で高卒のルーキーがスタメンは張ったことをありませんでした。それほど、名門鹿島アントラーズのスタメンというのは高い壁なのです。

しかし、内田篤人はこの壁を軽々と乗り越えることに成功しました。2006年Jリーグ開幕戦、広島戦でクラブ史上初の高卒ルーキーによる開幕スタメンのピッチに経つという偉業を成し遂げたのです。そして、衝撃はそれだけにとどまらず、アタッカー時代に鍛えられらたドリブル突破を武器に先制点となるPKを獲得したのです。

若き右サイドバックの衝撃は続く!

そして内田篤人の活躍はそれだけに留まりませんでした。4節のヴァンフォーレ甲府とのアウェー戦では、右サイドの深い位置で鋭いタックルで相手ボールを奪うと、そこから中央に切れ込んで行き、対峙する甲府DFをまた抜きで鮮やかにかわすと、最後は利き足ではない左足で強烈なシュート!甲府GKに触りながらも、ゴールに突き刺さる一撃を決め、記念すべきプロ初ゴールを決めました。しかもこのゴールはいまだに破られていない鹿島の史上最年少ゴール!2006年という年は鹿島アントラーズにとって歴史的な一年となったのです。

内田篤人、鹿島からの移籍をめぐるストーリーが感動的すぎる!

そしてこの甲府戦では2点目となる得点も、得意のドリブル突破からアシストしています。結局このデビューイヤーに内田篤人は28試合に出場し、2得点の成績を収め、Jリーグのベストイレブンに選出されました。また、リーグカップにも10試合出場しており、一年目から完全に鹿島の主力へと君臨しています。

鹿島と内田篤人にとって転機となる移籍が・・・

内田篤人にとっては最高のデビューイヤーとなった2006年。鹿島アントラーズにとってもアルトゥオリ監督にとってもこの内田篤人の大活躍は嬉しい誤算といえるものでした。そして鹿島首脳陣はこの内田篤人の活躍を受けてひとつの決断を下します。在籍10年目を迎えようとしていたベテラン右サイドバック名良橋晃の移籍です。

このベテラン右サイドバックは1997年に平塚ベルマーレから鹿島に移籍してきました。この移籍以降9年間にわたり、鹿島不動の右サイドバックとしてポジションを守り続けました。鹿島の黄金時代にはこの名良橋の他、秋田豊、本田泰人など多くの素晴らしい選手が在籍していました。2004年には秋田豊が名古屋グランパスに移籍するなどベテラン重用から若手への世代交代へと路線を変更していた鹿島。この数年でチームの根幹を担っていたベテランを一気に移籍させていました。

これまで名良橋が務めていた右サイドバックにも内田篤人という新星が現れ、鹿島首脳陣はこのポジションにも世代交代の手をうとうと考えました。そして名良橋は古巣である平塚への移籍を決断したのです。

内田篤人は1シーズンだけですが、ともにプレーしその教示を受けた名良橋を深く敬愛していました。名良橋の移籍に関しても非常に残念だったと感想を口にしており、後のインタビューでも名良橋に対する深い敬意と愛情を感じさせる発言を残しています。そして移籍した名良橋が長くつけていた背番号2を継承し、

鹿島サポーターがいまだに懐かしむ背番号2の内田篤人が誕生したのです。

こちらが背番号2を移籍した名良橋から継承した内田篤人。この移籍してしまった大先輩からもらった背番号には大きな愛情を示しており、現在は代表でもこの背番号をつけています。同時期に鹿島に在籍しており、後に欧州にも移籍して活躍した伊野波が内田篤人にこの背番号を譲っています。

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ワールドカップで挫折の内田篤人に欧州からの移籍オファーが!

2007年のJリーグでもベストイレブンを獲得し、もはやJリーグの顔とも言える存在にまで成長した内田篤人。そして、その勲章を引っさげて2007年に日本代表に初選出されデビューを飾ると、あっという間に主力に成長しました。ワールドカップでの活躍も大いに期待されていましたが、実は右サイドバックとしては当時数年しか経験がなかった内田篤人は守備面が数少ない弱点でした。その影響で2010年の南アフリカワールドカップでは直前までスタメンでしたが、守備重視路線をとったチーム事情により、ベンチで見守るという結果に終わってしまいました。

それでもいまだにJリーグ屈指のライトバックとして鳴らしていた内田篤人。実は既にワールドカップの時には欧州の数チームから移籍のオファーが届いていました。彼らは数年前から内田篤人の才能に注目しており、移籍のオファーを出していたと言われています。そして内田篤人と鹿島アントラーズは数あるオファーの中からドイツのシャルケを選択。2010年7月1日鹿島の内田篤人は移籍金1億5千万円で、ゲルゼンキルヘンの強豪に移籍しています。ちなみに同じタイミングで香川真司も同じくルール地方のドルトムントに移籍しています。当時は内田篤人の方が知名度・人気ともに上でした。何より代表で長く実績を残しており、香川真司はJ1での実績が数試合しかないのに対し、内田篤人は鹿島アントラーズで4シーズンも戦っています。しかし、現在は香川真司も内田篤人に方を並べるほどの実績を残しています。

生え抜きの移籍に鹿島の反応は・・・?

内田篤人への移籍オファーに対し、鹿島の鈴木強化部長は「内田篤人移籍に対する非常に強い情熱を感じた。時間はかからない」と発言し、シャルケ側のう内田篤人獲得への熱意を感じています。2009年の12月に渡欧してシャルケの試合を視察し、スタジアムの雰囲気を感じていた内田篤人。「すごく良い雰囲気。来て良かった」と発言しています。

そして内田篤人のシャルケへの移籍が決定した際には内田篤人が出場する最後のホームゲームでお別れのセレモニーが計画されていました。既に濃厚となっていた内田篤人の移籍に対し、鹿島サポーターは別れを惜しむかのように殺到。そして鹿島サポーターと内田篤人が残されたわずかな時間をともに過ごした時の画像がこちらです。

内田篤人、鹿島からの移籍をめぐるストーリーが感動的すぎる!

鹿島サポーターに一生懸命サインを応じる内田篤人の姿が非常に印象的ですね。そして当時鹿島の監督を務めていたオリヴェイラ監督が「必勝」と語るなど、内田篤人に対する愛情の深さを示しています。

ドイツでは「無駄な買い物」、「移籍金の無駄」と揶揄される!

移籍は1億5千万円、そして年俸は約3億円でシャルケへと移籍した内田篤人。しかし、ドイツのメディアはこの移籍を「高い」と批判していました。

「実績のない日本人に対して法外な移籍金」

とシャルケの地元紙は報道し、内田篤人の加入を批判し、移籍が失敗し活躍する可能性が低いことを報じていました。しかし、マガト監督に率いられた一年目のシャルケで内田篤人は安定した素晴らしい活躍を披露しています。課題といわれた守備力は大きく向上し、いまや内田篤人の大きな武器になりました。バイエルン所属のオランダ代表FWアリエン・ロッベンも内田篤人を「非常に手強いDF」と発言するなど、ブンデスリーガ屈指のライトバックへと成長を遂げています。チャンピオンズリーグでは世界最高の選手、クリスチアーノ・ロナウドともマッチアップを見せています。2013年にはプレミアリーグのアーセナルへの移籍も噂されるなど、大きく飛躍しています。その活躍や経験を日本代表にしっかりと持ち込んでおり、いまや日本代表でも主軸となっており、かつてのひ弱さは微塵も感じられません。

鹿島への愛情を示す契約延長!

そして2014年には鹿島サポーターにとっては、非常に嬉しいプレゼントがシャルケと内田篤人から届きました。それは10月にシャルケと契約延長が発表されたのです。

それのどこが鹿島サポーターにとって嬉しいニュースなのか?

きっとそう感じた方も多いはずです。この内田篤人とシャルケが結んだ新契約にはこんな特別な条項が組み込まれていました。

それはシャルケから他のチームに移籍する際に、契約年数に応じて、その移籍金の一部がシャルケから鹿島に支払われなくてはならないというものでした。

内田はこの特別な条項に対して、

「絶対に譲れなかった」

と発言しており、鹿島への愛情の深さを示しています。シャルケのホルスト・ヘルトSDは「実際にオファーはあった。ミランやアーセナル、バレンシアなどが競合していたんだ。しかし内田篤人はシャルケに対して移籍金を残さずに出て行くつもりはないと言ってくれた」と内田篤人との契約延長がすんなりと進んだことを話しています。

内田篤人、鹿島からの移籍をめぐるストーリーが感動的すぎる!

シャルケにも鹿島に対しても深い愛情を示した内田篤人。内田篤人がボールを持つ際にはシャルケサポーターからの「ウッシー」コールが沸き起こるなど、この日本人に対して愛情を注いでいます。内田篤人もこのサポーターの行為に対して深い恩義を感じており、それがスムーズな契約延長につながったといいます。

総括~内田篤人、鹿島からの移籍を巡るエピソード~

本日は内田篤人の鹿島移籍の際のエピソードについてお伝えしました。すでに内田篤人がJリーグにデビューしてから10年がたとうしています。現在の20代から10代の若いサッカーファンにとってはベテランともいえる感覚があるかもしれませんが、筆者のようなオールド(泣)サポーターにとって、内田篤人はまだまだ若手のようなイメージをこの男に抱いています。ユースレベルで数多くの実績があり、鹿島に入団した段階からすでにセミプロのような状態だった内田篤人。何事にも動じないその精神の強さはあるいは本当に「ベテラン」なのかもしれません。そしてそんなベテランもアントラーズから移籍した際には多くのサポーターの涙を誘いました。それほど内田篤人と鹿島、そしてサポーターは愛し合っていたのです。そして、シャルケとの契約延長の際には特別条項として鹿島に移籍金を支払うという条件をつけて古巣への愛情を示しました。現代フットボールは「職業フットボーラー」といわれる選手たちが数多く存在しています。所属クラブから高級を支払われることで、そのクラブに対して忠義を誓い、チームメイトとも「職業柄」仲良くするという関係が築かれています。それはフットボールがお金にまみれた、コンテンツへと進化を遂げたことと無関係ではないでしょう。しかし、内田篤人はこれまで所属した鹿島アントラーズとシャルケという2チームとの間に家族のような関係性を築いています。それはこの男の人柄がそうさせるのでしょうか?現代のフットボールではなかなかみることが出来ない素晴らしいクラブとの関係です。そして鹿島アントラーズとの深い愛情はいまだにつながっているようです。きっと鹿島アントラーズのサポーターいつかこの生え抜きの英雄がまた赤いユニフォームを着て鹿島スタジアムに帰還してくれることを望んでいることでしょう。本当に感動的な内田篤人と鹿島アントラーズのエピソードをお伝えしました。

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