イニエスタはいかなる子供時代を過ごしたのか?

イニエスタはいかなる子供時代を過ごしたのか? photo 3

あなたはヴィッセル神戸で戦うイニエスタの姿を見て、何を感じたでしょうか?

多くの人が、彼が特別な輝きを持つフットボーラーであることを感じたはずです。

なぜならイニエスタは殆どのサッカー選手が持っていないスキルを持っているからです。

天才アンドレス・イニエスタはどうやって…

育まれたのでしょうか?

今回はイニエスタの子供時代についてお伝えします。

イニエスタの子供時代には、あまり知られていない驚きのエピソードがありました。

誰もが無理だと笑った。でも彼がピッチに立つと…

アンドレス・イニエスタは1984年5月11日にスペインのアルバセーテ県フエンテアルビージャという小さな村で生まれました。

こちらは子供時代のイニエスタです。

バルセロナでプレーした期間がキャリアの大半を占めるイニエスタだが、実は生まれ故郷はマドリードに近いのです。

小さな頃からサッカーに興味を持っていたイニエスタは、4歳からボールに触り始めました。

そして、8歳の時に地元アルバセーテの下部組織のチームに入団し、本格的にサッカーに取り組み始めました。

あまりにも身体が小さく、線が細いイニエスタ。

そのため、多くの人は彼にはフットボールは無理だと思ったと言われています。

しかし、彼は子供時代から既に特別な才能を持っていました…

そしてその才能は周囲の雑音を完全に黙らせる特別なものでした。

誰も持っていない特別な才能がメガクラブの心を掴んだ

イニエスタの子供時代から誰も持ちえていない、特別な才能がありました。

まずひとつは超人的なボールスキルです。

単にボールを足で操るのがうまいだけではありませんでした。

相手とボールの間に自分の体を滑り込ませるという技術(いわゆるスクリーン)を、彼は子供時代から身につけていたのです。

相手ゴールに背を向けながら、しかも相手ディフェンダーを背負った状態で、体を入れ替えて相手陣地に進入するという決定的な局面につながりうるプレーを、子供時代から備えていました。

スクリーンを得意とするプレーヤーは過去にもいました。

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代表格となる選手をあげるのであれば、ジネディーヌ・ジダンとアンドレア・ピルロの二人です。

しかし、イニエスタに関しては、相手をいなした後のプレーが異質でした・・・

イニエスタのもうひとつの持ち味はドリブルスピードです。

しかも、単にドリブルのスピードが速いのではなく、加速性能や急激な方向転換、そしてブレーキングの資質まで備えていました。

子供時代から特別な才能を発揮していたイニエスタ。

この天才少年を、スペイン国内のビッグクラブが放っておくわけがありませんでした…

なぜ、子供時代のイニエスタはレアルマドリードに惹かれたのか?

子供時代のイニエスタに最初にアプローチしたのは、首都の名門レアルマドリードです。

レアルマドリードは彼のプレーに強い関心を持ち、ジュニアチームに入門することを強く勧誘しました。

イニエスタが子供時代を過ごしたアルバセーテからほど近いマドリードであれば、ホームシックなどにかからずに済むし、両親の近くにいられると諭したと言われています。

そして、彼自身もレアルマドリードへの移籍に前向きだったと言われています。

あまりにも意外なことですが、子供時代のイニエスタはレアルマドリードを応援していました。

理由はバルセロナがアルバセーテ相手に7度もゴールネットを揺らしたからだと言われています。

そのバルセロナの永遠のライバルがレアルマドリードであることは説明不要でしょう。

子供時代のイニエスタは、レアルマドリードでプレーして、バルセロナを見返してやりたいと考えていたのです。

しかし、多くの人がご存知であるように、子供時代のイニエスタがレアルマドリードへの移籍を選択することはありませんでした。

イニエスタの両親が息子のプレースタイルはよりバルセロナに適合すると考えて、カタルーニャのライバルクラブへの移籍を勧めたのです。

13歳からバルセロナで過ごすことになるイニエスタですが、彼の人生はここから凄まじい勢いで物事が変わりはじめたのです…

イニエスタの姿を見た名将が、未来を予言した理由

1999年、まだ14歳だったイニエスタはU-15のチームの一員としてナイキ・プレミア・カップに参戦しました。

この大会の決勝で決勝点をあげたイニエスタは大会MVPに輝くのですが、この大会を観戦していたのが当時バルセロナのトップチームの看板選手だったペップ・グアルディオラでした。

イニエスタの姿を見たグアルディオラが同僚のシャビに対し放った“予言”は、当時からイニエスタが見るもの魅了する特別な何かを持っていたことを感じさせるものです。

“じきにお前は俺を引退に追い込むだろうが、あの坊や(イニエスタ)が俺たちふたりを引退に追い込むかもしれないぞ”

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この予言は必ずしも的外れなものではありませんでした。

グアルディオラがバルセロナを去った2001年夏、イニエスタはその1年後にトップチームの一員としてプロデビューを飾っています。

2002年10月、この時イニエスタは18歳と5ヶ月という若さでした。

バルセロナのサッカーがイニエスタの急激な成長を促進した

彼は期待こそされていましたが、トップチームで輝きを放つまで、そこから短くない時間を必要としました。

その才能が最高峰の舞台で開花したのは、2008年のことです。

そう、グアルディオラがバルセロナの監督として古巣に帰還した年です。

グアルディオラは、トップチームにバルセロナ伝統のパスサッカーを植えつけました。

イニエスタはその中でこれまでにはなかった才能を見せ始めます。

それは超人的なボールコントロールと、突出したスピードを発揮しながら、360°の敵味方を把握し、より良いプレー選択をするということです。

“より良い”としたのは、必ずしも常にベストの選択をチョイスしていたわけではなかったからです。

シュートへの積極性が欠けていた-そして、それは最後まで改善されなかった-イニエスタはそのプレーの大半の終着点は味方へのアシストか、局面を打開するドリブル、そして意表をつくスルーだったからです。

イニエスタの現在の姿を見ても、彼の子供時代の姿とはほとんど変化がありません。

子供時代は、守備的ミッドフィルダーとして、攻撃をオーガナイズするという役割をするプレーヤーに成長すると思われていましたが、大成する過程でプレーエリアは10メートルほど上がりました。

組み立ての貢献度も当然高かったですが、どちらかという崩しのフェーズでの活躍が際立ちました。

そんな彼が、キャリアの最後の地に日本を選んだのは驚きでした。

Jリーグはまだまだプレースピードが遅い反面、パスサッカーを愛し、高さやパワーよりもテクニックや創造性を重んじる傾向があります。

イニエスタにはJリーグに、自分が最後の輝きを放つ為の条件を見出していたのかもしれません。

今回はイニエスタの子供時代についてお伝えしました。

そして、下のリンクでは新生日本代表のメンバーのメンバーについてお伝えしています。

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