なぜ、サッカードイツ代表の10番は不遇なのか?

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あなたはサッカードイツ代表の10番と聞いて誰を思いつくだろうか?

サッカーチームにとって背番号10番はエースが背負うナンバーであり、いわばそのチームの看板選手であることを意味します。

しかし、サッカードイツ代表にはここ数年偉大な背番号10番とは無縁でした…

なぜなら…

サッカードイツ代表の背番号10番はベンチに座ることが非常に多いからです…

なぜサッカードイツ代表の10番は不遇なのでしょうか?

サッカードイツ代表の背番号10が変更!新たにエースナンバーを背負うのは…?

2017年、サッカードイツ代表の背番号10が変更されることになりました。

2010年から一貫して背番号10を任されてきたルーカス・ポドルスキが代表から引退することになったからです。

そして、新たに背番号10を背負うのは…

メスト・エジルです!

エジルはテクニックとスピード、ファンタジーを持ち合わせた生粋の10番。

ここ10年ほどの国際大会で圧倒的な成績を収めてきたサッカードイツ代表で攻撃の中心的な存在を常に担っていきました。

サッカードイツ代表の背番号10番はようやくふさわしい男の背中にたどり着きました…

ポドルスキは2004年にサッカードイツ代表にデビューしてから、国際大会では素晴らしいパフォーマンスを発揮してきました。

2008年から背番号10番を任されるようになり、特に2010年の南アフリカワールドカップでは素晴らしい活躍でサッカードイツ代表の3入賞に貢献しています。

しかし、サイドに開いた位置でのプレーを得意とするポドルスキはエジルのような生粋の10番ではありません。

また、クラブレベルでの活躍も目覚しく、レアルマドリードやアーセナルなどメガクラブを渡り歩いているエジルとは異なり、ケルンなど中小クラブで過ごした時間がやや長いポドルスキには

『そもそも背番号10がふさわしかったのか?』

という疑問もわきます。

しかも、ポドルスキはクラブチームでは説得力のあるパフォーマンスをあまり見せたことがなく、あくまでサッカードイツ代表で驚異的な能力を発揮される点を評価されて召集を受けてきました。

サッカードイツ代表として130試合に出場し49得点という結果は素晴らしいですが、ケチがつかないわけではなかったのです…

しかし、サッカードイツ代表の10番の歴史を振り返ってみると、かなり不遇の選手が多いことに気づかされます。

なぜ、サッカードイツ代表の10番は不遇なのか? photo 2

コレがサッカードイツ代表の歴代背番号10!

そして、こちらがサッカードイツ代表の歴代のエースナンバーを背負った男たちです!

1980年~1982年:ゲルト・ミュラー

1982年~1984年:ゼップ・マイヤー

1984年~1986年:フェリックス・マガト

1986年~1988年:オラフ・トーン

1990年~1992年:ローターマテウス

1992年~1994年:トーマス・ドル

1994年~1996年:ローターマテウス

1996年~1999年:トーマス・ヘスラー

1999年~2002年:ローターマテウス

2002年:ラース・リッケン

2002年~2004年:ケビン・クラニー

2005年:セバスチャン・ダイスラー

2006年~2008年オリバー・ノイビル

2008年~2017年:ルーカス・ポドルスキ

2017年~:メスト・エジル

マテウスやヘスラーなど、オールドファンには堪らない名前がいくつか出てくることに気がつきます。

しかし、こうしてサッカードイツ代表の歴代背番号10番を見ていると、あることに気づきます。

それは、不遇な選手が多い、という点です。

そしてそれは、特に2000年代に顕著に見られるという点です…

サッカードイツ代表の不遇な歴代10番①ケビン・クラニー

クラニーは主にブンデスリーガのシュツットガルト、シャルケでキャリアを積み、2003年にサッカードイツ代表に初召集され、翌年のユーロ2004で背番号10番を背負いました。

ブラジル出身のドイツ代表という珍しい経歴の持ち主で、190cmの長身と柔らかなテクニックが最大の魅力でした。

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サッカードイツ代表でも52試合に出場して19得点と中々の実績を持っています。

しかし、絶対的なポジションを確保するには至らず2008年に国際親善試合の際にベンチを外された際に、スタンド観戦拒否したため、レーヴ監督の逆鱗れてサッカードイツ代表から追放されるに至りました…

サッカードイツ代表の不遇な歴代10番②セバスチャン・ダイスラー

ダイスラーは1998年にボルシアメンヘングランドバッハでブンデスリーガデビューを飾り、その後はヘルタ・ベルリンを経てバイエルンにたどり着きました。

しかし、主力として期待された2002年のワールドカップ直前に右ひざの靭帯を損傷し、初の大舞台を欠場することになりました。

バイエルンでもサッカードイツ代表でも主力としての働きが期待されましたが、周囲の期待や怪我の頻発、両親の離婚などストレスに晒され続けた結果としてうつ病を発症してしまいました。

何とか復帰して2005年のコンフェデレーションズカップに出場しましたが、2006年のドイツワールドカップ直前に再び右ひざを負傷したことにより、うつ病が再発。

2007年に現役からの引退を発表しています。

サッカードイツ代表の不遇な歴代10番③オリバー・ノイビル

ノイビルは1998年にサッカードイツ代表にデビューしてから一度も主力としてプレーすることはありませんでした。

2006年に33歳の若さでサッカードイツ代表に召集されたことは、賞賛を集めるよりはドイツの人材不足の象徴的な存在と皮肉られるものでした。

それでもノイビルは意地を見せてグループリーグの第2戦のポーランド戦で後半ロスタイムにこの試合始めてとなるゴールを記録し、サッカードイツ代表に劇的な勝利をプレゼントしました。

残念ながら、これがノイビルにとっては唯一の人々の記憶に残るゴールとなってしまいましたが…

時代の隆盛を表す?サッカードイツ代表の10番の歴史!

やはりこの時代のサッカードイツ代表は明らかにタレント不足を感じさせるメンバー構成で、その影響が10番の人選にも出ていました。

特に2004年は人材の枯渇が深刻化しており、ユーロ2004では新進のチェコ、そしてオランダに木っ端微塵に粉砕されるという苦肉を味わい、ワールドカップ準優勝監督のルディ・フェラーが更迭されるという深刻な状態にありました。

その後育成方針を変更して、精力的に育成に資本を投下したドイツは2010年前後からタレントが続々と輩出されるようになり、現在ではそのタレント力は世界屈指のレベルにまで達しています。

上述した不遇の10番たちはあるいは時代の隆盛を表していたのかもしれません…

例えばイタリア代表が1990年代から2000年代後半にかけてロベルト・バッジョ、アレッサンドロ・デル・ピエロ、フランチェスコ・トッティなど破格のタレントをズラリと揃えていたことを考えると、当時のサッカードイツ代表の10番はやや悲しいラインナップとなっています。

その後、逆にイタリアがタレント不足に苦しんだのは、時代隆盛を表す奇妙な出来事ですが…

今回はサッカードイツ代表の10番の系譜についてお伝えしました。

そして、下のリンクではサッカードイツ代表のメンバーとフォーメーションを紹介しています。

連覇を狙うワールドカップを1年後に控えたサッカードイツ代表はどのようなメンバー構成で本番に向けて戦っていくのでしょうか?

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