「バルセロナの歴代最高監督は誰なのか?」
あなたはこんな風に感じたことはないでしょうか?
なぜならバルセロナが強い時、彼等はその時代の最先端の戦術でヨ ーロッパサッカーの覇権を手にしてきたからです。
だからこそ…
バルセロナの歴代の監督は、このチームの歴史を語る上で絶対に 欠かすことが出来ないのです。
ヨハン・クライフ、ルイス・ファン・ハール、フランク・ライカー ルト、ペップグァルディオラ、ルイス・エンリケ…
多くの名将と言われた人物がバルセロナの歴代監督としてベンチに 座ってきました。
果たして誰がバルセロナにおいて最も優秀な監督なのでしょうか?
あなたはこの記事を読み終わった時、バルセロナの歴代最高の監督 を知ることになるでしょう…
そしてそれは、意外な人物かもしれません…
バルセロナの歴代監督年表!一番長く務めたのはこのオトコだ!
バルセロナはここ8年ほど、世界のサッカークラブの中でもトップの成績を残しています。
アルゼンチン代表リオネル・メッシ、ブラジル代表ネイマール、ス ペイン代表アンドレス・イニエスタなど、世界最高峰のタレントを 擁しており、しかも各々が独善的にプレーするのではなく、有機的に機能して結果を残しています。
そして、ルイス・エンリケ監督率いる現在のチームこそやや毛色が違いますが、バルセロナは伝統的にパスを中心としたチームを作り 上げてきました。
これまでにバルセロナの監督は59人が務めており、次の監督が就 任した場合は60人目の監督ということになります。
バルセロナの歴代の監督で最も長い期間シキを執ったのがオランダ人ヨハン・クライフ。
1988年から1996年までの8年間をバルセロナの監督として務めました。
それに次ぐのが、1917年から1924年の7年間監督を務めた イングランド人のジャック・グリーンウェルです。
そして、在任5年のオランダ人フランク・ライカールト、ペップ・ グァルディオラの4年と有名所が続きます。
ちなみにクライフの恩師であるリヌス・ミケルスは意外にバルセロ ナの監督としてのキャリアは短く、2年で任期を終えています。
ただ、バルセロナの歴代監督においては、1年から2年で監督の人 を解任されたケースは非常に多く、その数はざっくりと数えても半 分以上いるでしょう。
彼等の中にはイングランド人サー・ボビー・ロブソンやアルゼンチ ン人のセサール・ルイス・メノッティ、第2時政権のルイス・ファ ン・ハールも含まれます。
バルセロナの監督というのは伝統的に短命なのです。
それだけタスクと要求、何よりプレッシャーがが高いのでしょう。
多くのバルセロナの歴代監督を紹介してきましたが、それではこの チームの歴史の中で最も重要性が高かったのは誰だと思いますか?
バルセロナの歴代監督で最も重要性が高いのはこのオトコだ!
恐らく、バルセロナの歴代監督の中で最も重要性が高いといえば、 クライフを上げるかもしれません。
バルセロナというクラブにパスサッカーという伝統とクラブ史上初 のチャンピオンズカップ制覇(現チャンピオンズリーグ)という結果を残したのは、他のでもないクライフなのです。
しかし、筆者はあえて異論を唱えようと思います。
やはり最も重要性が高かったのは、ペップ・グァルディオラだと思 います。
不動の守備的MFとして、選手時代にクライフ監督の英才教育を受 けたグァルディオラは、歴代最高の選手の一人です。
監督としては2008年にフランク・ライカールトの後任として就任。
ライカールト時代にはあまり重宝されなかったシャビ・エルナンデ スを司令塔に抜擢、ショートパスを無数につなぐ超攻撃的なポゼッ ションサッカーを作り上げました。
インサイドのショートパスという基礎中の基礎の技術だけで、ボー ルをテンポよくつなぎ、壮大なオーケストラのような組織を構築し たのは、特筆に値する功績です。

また、若手の育成にも余念がなく、グァルディオラ監督のもとで飛 躍を遂げた選手は何人もいます。
ユース上がりでグァルディオラ監督と同じアンカーのポジションの セルジ・ブスケッツ、ボールが足に張り付いているかのようなドリ ブルとパスセンスを誇るアンドレス・イニエスタ、両利きのウイン グとして出場した6つのコンペティション全てでゴールを奪い元フ ランス代表ティエリ・アンリをベンチに追いやったペドロ・ロドリ ゲス、センターバックとは思えないテクニックを持ったジェラール ・ピケなどが挙げられます。
バルセロナのユースチームで育った彼等は幼い頃から植え付けられ たパスサッカーをトップチームでも実践し、すぐさま結果を残して います。
このように毎年のようにユースから新戦力が台頭してくるのもグァ ルディオラ監督時代のバルセロナの大きな楽しみでもありました。
グァルディオラ監督時代のバルセロナは歴代でもまれに見る自前の人材の宝庫だったのです。
そして、グァルディオラ監督時代のバルセロナには「中」だけでは なく、ライバルチームたちとの戦いにも尋常ではない緊張と興奮と 楽しみがありました。
中でも最も印象的だったのは…
宿敵レアルマドリードとの激闘でした…
なぜ、バルセロナVSレアルマドリードは至高の戦いとなったのか ?
グァルディオラ監督時代のバルセロナとレアルマドリードとの戦い は歴代の中でも至高のレベルに達していました…
何よりもこの極上の戦いを引き立てたのは、両チームの監督です。
バルセロナの監督はグァルディオラ、レアルマドリードの監督はジ ョゼ・モウリーニョです。
現在、マンチェスターの両雄で凌ぎを削る稀代の名将は、スペイン でも戦っていました。
そして、そのスタイルががっぷり四つに噛合い、 歴史上まれに見る熱戦の数々を演じたのです。
体制(カスティージャ)VS反体制(カタルーニャ)
といった本来のクラシコがもつ独特の緊張感だけではなく、
剛のレアルマドリード、 柔のバルセロナという構図がさらに興奮を高めました。
レアルマドリードはポルトガル代表ペペ、スペイン代表セルヒオ・ ラモスがゴール前をがっちりと固め、司令塔シャビ・アロンソの高速ロングパスでクリスティアーノ・ロナウドがカウンターを仕掛けるという堅守速攻が心情の硬質チームです。
対するバルセロナはグァルディオラ監督の哲学により、ボール支配率を高め細かなショートパスを無数につなぎ、真絹で首を締め付けるようにじわじわと攻略するサッカーです。
レアルマドリードがややラフプレーに走り、バルセロナがオーバー気味にアクションしたのもさらに、このクラシコを歴代でも例にないほどのピリピリとした雰囲気にさせ、当時世界最強だったスペイン代表のチーム内分裂も危惧されるほどの緊迫感でした。
しかし、世界最高峰の選手たちが自分たちに適したスタイルで戦ったことで、歴代のクラシコでも最高クラスのレベルに達したと言えるでしょう。
グァルディオラ監督率いるバルセロナはそんなレアルマドリードの攻撃をかわしつつ、4年間で3度のスペインリーグ制覇を成し遂げました。
もちろん、グァルディオラ監督率いるバルセロナの敵はレアルマドリードだけではなく、国外にもいました…
バルセロナ歴代最高監督グァルディオラ最大の敵①マンチェスターユナイテッド
国内でグァルディオラ監督率いるバルセロナの最大の障壁となったのは、やはりマンチェスター・ユナイテッドです。
アレックス・ファーガソンに率いられた赤い悪魔は2009年のチ ャンピオンズリーグ決勝でバルセロナと対戦。
クリスティアーノ・ロナウド、ウェイン・ルーニー、ライアン・ギ グス、リオ・ファーディナンド、ネマニャ・ヴィディッチといった スーパースターをずらりと並べた豪華な布陣でバルセロナと対戦し ています。
しかし、意外にも結果は2-0でバルセロナが完勝。
「ドリーム・ファイナル」とまで銘打たれ、歴代最高の決勝になる とも期待されたこのシーズンのチャンピオンズリーグの決勝。確か にどちらのチームもスタメン2位歴代最高クラスのタレントを揃え ていましたしかし、バルセロナがマンチェスターユナイテッドにほ とんどボールを触らせることなく、勝利しました。
マンチェスターユナイテッドの激しいプレッシングを軽々とかわし 、マンチェスターユナイテッド陣地に進行し、カメルーン代表サミ ュエル・エトーとメッシのゴールで赤い悪魔の連覇の夢を粉々に粉 砕しました。
ちなみにマンチェスターユナイテッドとは2年後のファイナルでも 対戦。
ペドロのゴールで先制しましたが、ルーニーのゴールで追いつかれ るという重苦しい展開になります。
しかし、その後パスワークでマンチェスターユナイテッドの守備網 を崩し、メッシとスペイン代表ダビド・ビジャのゴールで再びマン チェスターユナイテッドを下しています。
グァルディオラ監督との戦いは、一説によるとファーガソン監督に 監督業からの引退を検討させたとも言われています。

それほど、この時のバルセロナが歴史に名前を残すほど強かっった ということなのです。
バルセロナ歴代最高監督グァルディオラ最大の敵②インテル
グァルディオラ監督がついに完全に征服することができなかったの が、宿敵ジョゼ・モウリーニョ監督率いるイタリアのインテル。
2009-2010シーズンのチャンピオンズリーグのグループリ ーグと準決勝で激突しました。
グループリーグでは地力の差を見せつけて、アウェイで0-0のド ロー、ホームで2-0という実力差がありました。
しかし、シーズンが深まるに連れて、力を増したインテルと準決勝 で対決したバルセロナ。
アウェイでの1stLegでは先制こそしたものの、アルゼンチン 代表ディエゴ・ミリート、オランダ代表ウェズレイ・スナイデルら のゴールでインテルが3-1で逆転勝ち。
2年連続の決勝進出がかかるバルセロナはホームでのリターンマッ チに臨みましたが、ピケのゴール1点返すにとどまり、合計3-2 で敗れました。
当時のインテルもバルセロナも歴代最高とも言えるタレントがずら りと揃っていました。特に歴代最高で連覇は確実とも言われたバル セロナを葬ったインテルのメンバーは未だに伝説的な存在として語 り継がれています。
思えば、グァルディオラとモウリーニョの因縁が深まったのはこの 時からでした。
ちなみにこのシーズンのバルセロナでグァルディオラ監督が起こし た歴史的な革命はメッシを頂点に置いた0トップということになり ます。
インテルから獲得したスウェーデン代表ズラタン・イブラヒモビッ チが結果を残せなかったことから試行されたシステムですが、純粋 なセンターフォワードを置かず、メッシの得点能力の最大限に活か すことに成功しています。
たったひとつの無念。歴代最高監督グァルディオラの心残りとは?
リーガ・エスパニョーラ、コパ・デル・レイ、チャンピオンズリー グ、クラブワールドカップという全てのタイトルを獲得し、最大で 6冠という最高の成績を手にしたバルセロナ。
グァルディオラ監督は歴代最高の監督をほしいままにしてバルセロ ナのベンチを去りましたが、ショッキングな出来事もありました。
それはグァルディオラの後継者としてバルセロナの監督に就任した ビラノバの死です。
2012-13シーズンにバルセロナの監督に就任したビラノバ。
グアルディオラ監督が作り上げた戦術をさらに深めて極上のパスサ ッカーを作り上げようとしていたところに、癌にかかりシーズン途中でチームを離脱。
結局1年の短命政権に終わり、2014年に急逝しました。
グアルディオラにとっては監督時代の右腕であり良き理解者でもあ ったビラノバの死は大きな喪失だったと言われています。
チームとしてはビラノバはグアルディオラ後の希望であり、その後 のバルセロナの監督探しが混迷を極めて、タタ・マルティーノ政権 での失意の1年を過ごしたことを振り返ると大きな損失となりまし た。
クライフ、ライカールト、ルイス・ エンリケはグァルディオラに劣るのか?
グアルディオラが歴代最高の監督かと言われると、 間違いなく引き合いに出されるのが、クライフとの比較論争。
クライフは間違いなくバルセロナの歴史に名を残す偉大な名将で、 グアルディオラ自身もその教育を受けて、 監督としての礎を築いたといえるでしょう。
ただし、クライフの時代に比べると現代サッカーはパススピード、 インテンシティ、データ化などあらゆる面で進歩しており、 フットボールというスポーツを複雑にしていました。
また、年間の試合数が60試合以上行われる中で、 選手たちのコンディションとモチベーションを保ったのも素晴らし い手腕で、在任4年で2度チャンピオンズリーグ制覇を果たし、 3度のリーガ制覇を果たしたことを考えると、 弟子の方に軍配があがるでしょう。
ライカールト、ルイス、・ エンリケに関してはチャンピオンズリーグこそそれぞれ1度ずつ制 覇しているものの、(一般的な認識と違って) パワーと高さに優れた選手を並べた直線的で効率重視のサッカーが 標榜されており、 勝利だけでなく芸術性や戦術的な驚きまで提供してくれたグアルデ ィオラに比べると、 伝統を重視するバルセロナの監督としての責務が果たせたかという と、そうではないのです。
また、 グアルディオラはバルセロナだけでなくサッカーの文化が大きく異 るドイツのバイエルン・ ミュンヘンでも大きな最高を手にしました。
チャンピオンズリーグこそ優勝できませんでしたが、 リーグ戦は3度制覇しています。
サイドバックのフィリップ・ラームをアンカーに大抜擢したり、 画期的なオフェンシブな選手たちを高い位置で共存させる3-4- 3システムを機能させたりと、 教え子たちに戦術的な素養を注入したという点では単なる指導者に 収まらない貢献があったように思います。
バイエルンではオットマール・フィッツフェルト、ユップ・ ハインケス、フランツ・ ベッケンバウアーら歴代の名将に次ぐ監督と言っていいでしょう。
今回は「バルセロナ歴代最高の監督は誰なのか?」 というテーマでペップ・グアルディオラについて紹介しました。 クライフとの優劣は多くの意見があるかもしれませんが、 バルセロナの歴代監督の中でも間違いなくTOP3の一にはいるで しょう。
今回はバルセロナの歴代監督についてお伝えしました。
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