かつてレアルマドリードに在籍していたスペイン代表キーパー、イケル・カシージャスの事を思い出すと、やりきれない気持ちになります。このキーパーはほとんどレアルマドリードを追い出されるような形で移籍したからです。
何故レアルマドリード歴代キーパーの中でも最高のカシージャスが移籍という選択肢を選ばなければならなかったのでしょうか?
このカシージャスの移籍のことを考えると怒りがおさまりません。
しかし、
今なら移籍の理由がわかるような気がします。
このレアルマドリード歴代最高のキーパーの移籍には大きな理由がありました。
今回はレアルマドリード歴代最高のキーパー、イケル・カシージャスの移籍について、その真実をお伝えしましょう。
それには3つの理由がありました…
レアルマドリード歴代最高のキーパー・カシージャスが移籍した理由その①足元のテクニックの不足
これがレアルマドリードの歴代最高キーパー・カシージャスが移籍したひとつめの理由です。
カシージャスは驚異的な反応速度や1対1の強さを誇り、クラシカルなキーパーとしては1990年代から活躍していました。2000年代までのキーパーというのは、相手のシュートやクロスをキャッチするのが主な仕事で、カシージャスはキーパーとして、この仕事を完璧にこなしてきました。
しかし、2000年代のディケイドで、新たなキーパーを評価するための指標となったのが、足元のテクニックです。
キーパーでも味方のパスワークに加わって、攻撃の組み立てに貢献しなければならなければなりました。
特にレアルマドリードのライバル・バルセロナがキーパーのビクトール・バルデスも交えたパスサッカーで、圧倒的な強さでリーガ・エスパニョーラ、チャンピオンズリーグ、国内カップ戦の三冠を達成しました。
芸術性を保ちながら勝利を達成したパフォーマンスに対して、レアルマドリードのペレス会長は大きな嫉妬を抱えていました。
しかし、レアルマドリード歴代最高のキーパーであるカシージャスはあくまでクラシカルなキーパーで、足元のテクニックはおぼつきません。ボールを持たせても、モタモタとして攻撃を滞らせてしまうことすらありました。
ちなみ2008年以降、スペイン代表の選手は基本的にポゼッションサッカーが身についたバルセロナの選手達が主体になり、そして2度の欧州選手権制覇、そしてワールドカップ制覇に貢献しています。
とはいえ、カシージャスはスペイン代表でもスタメンが確約されており、バルセロナの選手主体のチームの中で浮いた存在になっていました。世論はスペイン代表のキーパーはカシージャスではなく、バルセロナのバルデスやバルセロナ出身のホセ・マヌエル・レイナの正キーパーを待望していました。
ちなみにカシージャスは本職であるシュートストップに関しては、ワールドカップの決勝でオランダ意表FWアリエン・ロッベンとの1対1をストップするなど圧倒的なパフォーマンスを見せています。

しかし、レアルマドリードのペレス会長はカシージャスのパフォーマンスに納得していませんでした…
レアルマドリード歴代最高のキーパー・カシージャスが移籍した理由その②会長との不仲
レアルマドリード歴代最高のキーパーであるカシージャスのパフォーマンスに不満を持っていたペレス会長。
そしてその不満はこのレアルマドリードの主将との確執へと繋がっていきました。
欧州サッカークラブとそのチームの応援団というのは非常に密接な関係を持っています。
特に大人数で影響のある応援団はクラブもその処遇に対して配慮しなければなりません。有名なのはセリエAのチームの過激派応援団で総称はウルトラスと言われています。
レアルマドリードの応援団は比較的おとなしいですが、それでもペレス会長はこの応援団と密接な関係があります。
ペレス会長が仕向けたのは、この応援団に対してカシージャスを試合中に攻撃するように仕向けること。
すると次第にレアルマドリードの試合中にこのキーパーがプレーに参加すると、その応援団から大きなブーイングが飛びました。もちろんレアルマドリードのサポーターの中には、このキーパーを応援する者もおり、ホームスタジアムであるサンチャゴ・ベルナベウは異様な雰囲気になりました。
そしてさらにはこのペレス会長はレアルマドリードの監督にまで根をまわします。
インテルから強奪してきたジョゼ・モウリーニョ監督とペレス会長は蜜月の仲を築いていました。
元々カシージャスをあまり高く評価していなかったモウリーニョ監督はこのキーパーが負傷すると、セビージャから移籍してきたキーパーのディエゴ・ロペスを起用し、カシージャスが復帰してからもこのキーパーを重用しました。
ロペスはカシージャスに到底及ばないキーパーですが、会長の根回しによる監督からの冷遇により、すんなりと厄介者のベンチ降格に成功しました。
ちなみにレアルマドリード時代のモウリーニョ監督は歴代最高の勝ち点を記録したこともある名勝ですが、カシージャスをはじめセルヒオ・ラモスやマルセロなどのチームのリーダー格の選手の移籍を望んでいました。
そして、ペレスとモウリーニョの願望は思惑通りの方向に進んでいます。
レアルマドリード歴代最高のキーパー・カシージャスが移籍した理由その③不振のスケープゴートに、そして…
2012年頃になると徐々に歴代最高キーパー、カシージャスのレアルマドリードからの移籍が現実味を帯びてきます。
レアルマドリードは新キーパーにスペイン代表でマンチェスター・ユナイテッドのダビド・デ・ヘア、そしてアトレティコマドリード(現チェルシー)からベルギー代表のティボ・クルトワの移籍を画策していました。そして実際にデ・ヘアには2014年と2015年の夏に移籍直前までオペレーションが進行しています。
カシージャスはその後もアンチェロッティ政権下でもベンチに座らせられるなど、不安定な歴代最高のキーパー、そしてキャプテンとしてはありえない扱いを受けました。

そして2013-2014シーズンは悲願のチャンピオンズリーグ10度目の優勝(デシマ)を達成しましたが、カシージャスはリーグ戦-つまりシーズンのほとんどをセカンドキーパーとしてプレーしました。
2014-2015シーズンには正キーパーの座を与えられましたが、このシーズンレアルマドリードは無冠に終わっています。カシージャスはシーズンの重要な一戦であるチャンピオンズリーグのユベントスのロスタイムに痛恨のファールスローを犯し、この試合の戦犯になっています。
この試合に関しては特にカシージャスだけのパフォーマンスが悪いわけではなかったのですが、なぜかこのファールスローばかりが取り上げられる異常事態となりました。
結果、このシーズンはレアルマドリードは無冠で終了しています。
そしてこのシーズン終了後には悲劇が起きました…
歴代最高キーパー、カシージャスが移籍を表明…
監督、会長、そしてサポーターの圧力を受け続けてきたカシージャス。
2015年の7月にレアルマドリードからの移籍を表明。
レアルマドリードのキーパーの移籍には大きな衝撃が伴いました。
レアルマドリードはカシージャスの移籍の会見の際には一人の同僚の同席も許さず、首脳陣とメディア関係者だけが出席を許されました。
レアルマドリードの歴代最高キーパーであるカシージャスが孤独の退団を強いられたのに対し、1年前にはバルセロナで同じような出来事が起こっていました。
カシージャスとは正反対の別れ。バルセロナ歴代最高の司令塔シャビの退団
それはシャビの退団です。
シャビは退団会見に下部組織時代からの同僚・イニエスタも出席。サポーターもたくさん招き入れて、このバルセロナで歴代最高の司令塔は盛大な花道を用意されて、カタルーニャを後にしています。
シャビが盛大な花道を用意されたのに対し、レアルマドリードの歴代最高のキーパーは悲しい別れとなりました。
本日はレアルマドリードの歴代最高のキーパーであるカシージャスの移籍についてお伝えしました。
そして下のリンクでは、クラブワールドカップで来日するレアルマドリードのメンバーを紹介しています。この記事を読めば、銀河系軍団がどのような戦いを日本で見せてくれるのか、知ることができます。

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