あなたは内田篤人の怪我の原因を知っていますか?日本代表としては実質的に2014年のブラジルワールドカップ以降、殆どの試合に出場していない内田篤人。この大怪我の原因はワールドカップでの酷使にあったとまことしやかに噂されています。
果たして、このワールドカップでの酷使が怪我の原因という噂は本当なのでしょうか?現在日本代表はロシアワールドカップへの出場に向けて奮闘中ですが、内田篤人の復帰は実現するのでしょうか?本日は内田篤人の怪我の原因と現在についてお伝えします。
内田篤人は慢性的に膝に怪我をおっていた?
内田篤人はまだ27歳ですが、すでに多くの実績を積み上げた、非常に息の長い選手です。2007年に鹿島アントラーズアントラーズに入団するとその活躍が認められて、2008年には日本代表にデビューしています。当時の日本代表はイビチャ・オシム監督のもと、南アフリカワールドカップを目指して戦っていました。
そして内田篤人は出場機会こそなかったものの、南アフリカワールドカップに代表選手として参加しました。当時の内田篤人は若かったこととあり、そのプレーを目にすることはありませんでしたが、世界最高峰の舞台であるワールドカップの雰囲気を21歳にして肌で感じるという貴重な経験を積んでいます。そして、内田篤人はご存知の通りブラジルワールドカップに主力として出場しています。日本代表はグループリーグ敗退の憂き目に合いましたが、それでも前線を必死にサポートしながら守備でも奮闘するワールドカップでの内田篤人の姿は非常に感動を呼ぶものでした。
しかし、一方で内田篤人は右膝に慢性的な怪我を抱えておりワールドカップの時にはかなり深刻な状況に陥っていました。その怪我の名前とは「膝蓋腱炎」。膝蓋腱とはその名前の通り膝にある腱です。太ももの前面にある大腿筋を支えて膝下からとのつなぎ目の役割となり、膝の折り曲げや収縮に関与する腱です。この膝蓋腱炎という怪我はジャンプしたり脚を強い力で振るサッカー選手には非常に多い怪我です。また、バスケットボール選手やバレーボール選手にも非常に多い怪我となっており、これらのスポーツ選手にとっては職業病とも言って良いほどの怪我です。これまでも多くの選手がこの膝の怪我によりキャリアを終えてしまいました。この膝蓋腱炎はそれほど深刻な状況になり得る怪我なのです。
内田篤人の怪我の始まりは…
内田篤人の怪我との戦いが始まったのは2011-2012シーズンのことでした。ワールドカップが終わった後ドイツの強豪シャルケに移籍していた内田篤人は、厳しいヨーロッパのシーズンを戦っていました。ブンデスリーガだけでなくチャンピオンズリーグも戦いながら代表戦もこなしていった結果、肉体はかなり酷使されていきました。
そして前半戦のある日、内田篤人のキャリアを大きく左右する最初の怪我に見舞われました。
それは意外にも膝の怪我ではなく、筋肉系の故障でした。故障を抱えた箇所というのは、その部分をかばってプレーしてしまい、他の箇所の怪我を引き起こす原因になります。まさしく内田篤人の場合はそれで、酷使によって悲鳴をあげていた筋肉系統の負担が後に膝蓋腱に降りかかってくるような状況でした。

2012-2013シーズンも苦難は続き…
内田篤人にとって、シャルケでの3年目のシーズンも右脚の小さな怪我が続き、スタメンすらも奪われかける状況に陥りました。この時はまだあぐで筋肉系の故障ということで、診断を受けていました。筋肉系の怪我というのはあらゆるスポーツにおいてリスクがある類の怪我です。しかし、内田篤人のような筋肉量が平均的で小柄な選手にとってはさほど重症にならない傾向が強いのです。反対に筋骨隆々のフィジカル系の選手というのは筋肉量が多い分、怪我をした時の回復が遅れることが多いのです。代表的なのはフランス代表としてワールドカップを制したことがある、パトリック・ヴィエラです。
非常に筋肉量が多い選手でしたが、加齢と共に筋肉系の故障が増えてきてから、コンディションがあがらず、比較的早い段階でキャリアを終えなければなりませんでした。
ワールドカップ出場に黄信号
小さな怪我を繰り返していた内田篤人。ワールドカップ直前のシーズンである2013-2014シーズンの2月に、再び右脚の大腿筋を痛めたとシャルケから発表されました。しかし、このシーズン中に戦列に戻ることなく、ワールドカップ直前のシーズンを不完全燃焼で終えてしまいました。
そして、膝に慢性的な怪我を抱えながら迎えたワールドカップ。内田篤人は膝を庇いながら3試合を戦い抜きました。ワールドカップでのパフォーマンスは及第点といえるものでしたが、やはりサイドを主体とした攻撃の中で光り輝けなかったのは事実です(そもそもこの4年間、中央突破を基調とした組織作りに励みながら、ワールドカップ直前でサイドアタック主体の攻撃に切り替わったという不可解な采配がありましたが)。
ついに爆弾が…
ワールドカップを終えて、新しいシーズンをシャルケで戦っていた内田篤人。序盤戦こそ怪我の影響でベンチに座る機会が増えていましたが、中盤戦以降は完全に立ち直り、本来のパフォーマンスを発揮していました。
しかし、2014年の3月右足の膝蓋腱を負傷したと発表。ついに長らく抱えていた爆弾が爆発しました。
結局そのシーズン、内田篤人は復帰できないまま終えてしまいました。そしてそれ以降は代表戦はおろか、クラブチームにおける試合にも一切出場できないでいます。結局アギーレ元監督に率いられて臨んだ、アジアカップにも中核選手の中ではただ一人欠場を強いられる形となりました。

2016年の1月には怪我からの復帰が報じられましたが、精密検査の結果やはり完全に治りきっていないとの事で、少なくとも今シーズンは全休することが早くも確定しています。一説にはこのまま怪我により引退する可能性も報じられている内田篤人。果たして再びサッカー選手としてピッチに立つ日はやってくるのでしょうか?
内田篤人の穴をめぐる戦い
2018年のワールドカップを目指す日本代表はここまで内田篤人を欠いた状態で最終予選への進出を決めています。内田篤人が不在の右サイドバックにはハノーファーの酒井宏樹、もしくはハンブルガーSVの酒井高徳というドイツでプレーする2人が争っています。
酒井宏樹に関しては、一対一などの対人には強さを見せるものの、やや詰めが甘くピンチに関与してしまうところが散見されています。攻撃面ではクロスは非常に鋭さを持っていますが精度が悪く、またポゼッションへの貢献度がさほど高くありません。一部サポーターからは失格とも言われています。
酒井高徳に関しては先日のシリア戦で久々にチャンスが与えられました。前半戦は攻撃面で目を見張るような美しい連携が何度かありました。しかし、後半には失速しあまり輝きを放つことは出来ませんでした。このシリア戦はカウンターから何度もピンチを招いており、サイドバックのバランス感覚は保たれませんでした。
二人の酒井を試した結果として、やはり内田篤人のプレーの質の高さやミスの少なさを痛感しました。怪我からの復帰してからこれまでのプレーの質をどこまで維持できているかは不確かですが、未だにライバルたちに対して頭一つ抜きん出ているという点では変わりはないでしょう。
むしろ内田篤人が警戒しなければならないのは長友佑都の右サイドバックへのコンバート。オランダのフィテッセでプレーする太田やガンバの藤春などがこれまで及第点のプレーを見せており、内田篤人に復帰の目処が立たなければ、長友佑都が右に回る日がやってくるかもしれません。現に既に所属するインテルでは右サイドバックとして重用されています。
シャルケは新戦力があたる
一方の怪我で内田篤人を欠いているシャルケは新戦力のブラジル人ジュニオール・カイサラがフィット。攻撃に厚みを加えるブラジル人サイドバックらしいプレーを披露しています。そしてドイツでの実績が高いサシャ・リーターが安定したパフォーマンスを見せており、今のところ内田篤人不在の影響は感じられません。しかし、ブライテンライター監督の下、7位と不本意な成績に終わっており来シーズンのチャンピオンズリーグ出場は難しいと言わざるを得ません。ちなみに先日のドルトムントとのダービーでは2-2でドローという結果に終わっています。
内田篤人、引退を示唆!?
内田篤人はワールドカップでの敗退の後、引退を示唆したのは皆さんの記憶にも新しいかもしれません。主力として臨んだ初めてのワールドカップで、期待されながらもグループリーグ敗退に終わったショックがよっぽど大きかったのか、代表からの引退を示唆しました。結局、代表引退は撤回され今も代表の一因です。しかし、皮肉にも今度は怪我という形で代表から離れることになってしまいました。一説にはこの怪我で現役を引退するのではないかとも言われており、内田篤人の将来を多くの人が心配しています。果たして、内田篤人は再び代表のピッチに立つことが出来るのでしょうか?

総括~内田篤人、ワールドカップでの酷使が右膝を破壊!?~
本日は内田篤人のワールドカップでの怪我についてお伝えしました。数年前から負っていた右膝の筋肉の怪我がワールドカップや過酷なシーズンのダメージの蓄積によって膝蓋腱の大怪我という形で表面化した内田篤人。その怪我は今後のキャリアに影響を及ぼすほどの怪我と言われています。果たして内田篤人の怪我は完治するのでしょうか?シャルケにとってもワールドカップを目指す日本代表にとっても目が離せない状況です。本日は内田篤人の怪我についてお伝えしました。
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