内田篤人の高校時代のポジションはサイドハーフ!?

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あなたは内田篤人の高校時代のポジションを知っていますか?

今ではすっかり右サイドバックとしてポジションを確立しており、総合力ではサッカー日本代表の先輩である長友佑都を凌駕しているとも言われる内田篤人。

しかし、内田篤人が鹿島アントラーズでプロデビューした時、実は守備者としてはまだまだキャリアが浅かったのを知っていましたか?

実は内田篤人は小学校、中学校とポジションが変わっており、高校時代に初めてサイドバックのポジションを任されるまでは、サイドハーフのポジションでプレーしたコンバート経験者だったのです。

確かに若かりし日の内田篤人のサイドバックのポジションでプレーする姿には、僅かながら粗がありました。

しかし今、内田篤人は日本最高のサイドバックとしてプレーしているのです。

内田篤人の高校時代のポジションは意外にも…

田篤人は清水東高校出身です。

サッカー王国静岡県でも強豪と言える高校でした。

この清水東高校時代には1時間半かけて通学し、大学進学を見据えながら文武に力を入れていました。

高校時代、最初に任されたポジションは右サイドハーフと右のウイングで、シンプルな縦方向への突破からチャンスを演出するという役割を担いました。

現在もそうですが、内田篤人の魅力はその瞬発力でわずか数メートルで最速のスピードに乗ることができる、破格の脚力を持っています。

この資質がサイドハーフというポジションに選ばれた理由でしょう。

しかし、高校時代にはJリーグのスカウトの目を引くようなプレーを見せることができず、くすぶった時期もありました。

そこで内田篤人に与えられたのが、サイドバックのポジションです。

やや軽量級で長い距離を何往復もするパワーとスタミナには欠けていたものの、プレッシャーの少ないポジションに移行したことで、高校時代に大きく飛躍しています。

ちなみに高校時代の恩師・梅田先生には強い信頼で結びついていました。

梅田先生からは清水東高校のキャプテンにも抜擢され、右サイドバックへのポジションのコンバートも梅田先生の提案だったと言われています。

「梅田先生が言うのだから、やってみる価値はあるのだろう」

内田篤人は恩師からのアドバイスにいつも真摯に耳を傾けていたと言われています。

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そしてこちらは坊主頭だった高校時代の内田篤人の姿。

とっても爽やかです(笑)

高校時代もそうですが、現在のミディアムな長さと違い、かなりショートヘアーの期間が長いです。

もともと癖が強い髪質みたいですね!

清水東高校時代には主要大会には出場できず。それでも…

サイドバックのポジションで花開いたかに思えた内田篤人の高校時代ですが、一方でチームは強豪たちがズラリと居並ぶ静岡県で、全国大会などの主要なコンペティションには参戦することができませんでした。

とはいえ、サイドバックのポジションで長足の進歩を遂げていた内田篤人には8チームが興味を寄せており、内田篤人はその中から鹿島アントラーズを選択したのです。

内田篤人の高校時代は見事鹿島アントラーズ入団という形で実を結んだのです。

鹿島アントラーズ入団!そして日本代表へ!

鹿島アントラーズに入団してからの内田篤人はとんとん拍子にステップアップしました。

鹿島アントラーズではあっさりとベテランの名良橋晃から右サイドバックのポジションを奪い、Jリーグ屈指の右サイドバックとしての評価を確立しました。

アントラーズのポゼッションサッカーに適応し、スピードを生かした突破でチャンスを作り出せるサイドバックへと成長したのです。特に高校時代のMFとしての経験を生かし、安定したショートパスと横幅を提供できる良質なサイドバックになりました。

内田篤人の挫折…弱点が明らかに

日本代表でもスタメンのポジションを手にした内田篤人ですが、2010年には大きな挫折も経験しています。

南アフリカワールドカップにスタメンとして出場する予定でしたが、チームが最終ラインを深いゾーンまで下げた守備的なサッカーを標榜した影響で軽量級の内田篤人はベンチに降格してしまったのです。

いくらサイドバックといえど、ディフェンダーとしては筋肉量の少ない軽量級だった内田篤人は守備面が不安視されていました。高校時代からの課題はこの時も解決されておらず、ベンチ降格の憂き目にあっています。

内田篤人、シャルケ移籍で復活!

そして内田篤人はワールドカップ終了後にドイツの強豪シャルケに移籍します。

 

当初は無名のサイドバックの獲得にシャルケサポーターからは拒否反応が示されましたが、今ではブンデスリーガ指折りのサイドバックに成長しています。

高校時代からのあまり筋肉量がなく、軽量級でディフェンスが軽いというのは、この男の数少ない欠点でしたが、シャルケ移籍後はこの弱点も克服しています。

シャルケではフェリックス・マガト監督に師事を受けました。この間がの監督は超守備的な戦術を選択することで有名な監督でした。軽量級の内田篤人はマガト監督により干されるのではないかと言われていましたが、守備面で長足の進歩を遂げて、右サイドバックのポジションのスタメンの地位を得ています。

この頃になると、ややひ弱な印象があった高校時代の面影はなく、強靭な肉体を持ったサイドバックへの成長しました。高校時代には欠点とも言われていたディフェンスは大きく改善され、世界屈指のウイングである元フランス代表フランク・リベリやオランダ代表アリエン・ロッベンとのマッチアップも無難にこなすようになりました。

現在は右膝に怪我を負っていますが、重傷になる前にはスペインリーグのバレンシアやイングランドのアーセナルから移籍のオファーを受けたといいます。

内田篤人は攻撃的選手だった!

ここまで、内田篤人の高校時代のポジションと、プロ入りしてからの成長についてお伝えしてきました。

内田篤人の高校時代のポジションがサイドハーフでアタッカーであったことは、これまでに書いてある通りですが、実はさらに意外だったのが中学時代のポジションです。

なんと、当時はFWでプレーしていて、点取り屋だったということです。

ちなみにこちらが中学時代の内田篤人の姿です。

あどけないけれど、中学時代から既にイケメンであったことが判明しています(笑)

とはいえ、やはり内田篤人は攻撃的なポジションの選手にありがちな強面では全くなかったんですね。

内田篤人は幼い頃から運動神経抜群だった!

今でも快足の内田篤人。そのスピードはもちろんですが、とにかく走っている時の姿やプレーしている時の佇まいが非常に美しいです。

内田篤人は高校時代はもちろんですが、幼い頃から抜群に足が速く、クラスでもリーダー的なポジションにいたのだとか。

こちらは内田篤人の同級生の証言です。

「やっぱ常にクラスの中心人物だし。みんな俺の友達みたいな感じ」

今では少し大人しくてクールな印象がある内田篤人が幼い頃はやんちゃ坊主だったというのは意外ですよね!

本日は内田篤人の高校時代のポジションについてお伝えしました。

いかがでしたか?

ちなみに内田篤人にはとても可愛い奥さんがいるのはご存知ですよね?実は今、この奥様が妊娠したのではないかと噂されています。

ウッチーが父親になったら、それこそ大ニュースですが…

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