【動画あり】本田圭佑ACミラン伝統の背番号10を纏って

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本日は本田圭佑とミランの背番号10番にまつわるエピソードをご紹介します!日本代表のエースにしてイタリアの名門ACミランでプレーする本田圭佑。そして日本代表では背番号4番をACミランではエースナンバーの10番を纏ってプレーしています。この背番号に込められた想いとはなんなのでしょうか?

そしてこのミランの背番号10番をめぐる批判についても紹介。批判をバネに出来る男の背番号10をめぐる感動秘話をお伝えしたいと思います。

背番号10はACミランの伝統の番号

ACミランの栄光のそばにはいつも偉大な背番号10がいました。ジャンニ・リベラ、ルート・フリット、デヤン・サビチェビッチ、ズボニミール・ボバン、マヌエル・ルイ・コスタ、クラレンス・セードルフ…彼らはACミラン伝統の背番号10を背負って多くの栄光を手に入れてきました。そして現在、彼ら背番号10の系譜に連なるのが、本田圭佑です。このレフティのアタッカーは幼い頃からの夢である、イタリア移籍という夢を叶え、今ロッソネーロ(赤と黒:ACミランの愛称)の背番号10を背負っています。そして背番号10までの道のりは決して平坦ではありませんでした。中学時代にはガンバ大阪のジュニアユースチームからユースチームに昇格できず、2014年のワールドカップではエースとして臨みながら、大敗を喫し、責任を負わされました。そんな多くの逆境を乗り越えて、本田圭佑はACミランのエースナンバーである背番号10を纏うことを許されたのです。本日は本田圭佑が夢のACミランの背番号10を背負うまでの道のりとACミランの歴代の背番号10を纏った偉人たちの歴史を振り返ります。

夢はイタリアでのプレー

本田圭佑は小学校の卒業文集に将来の夢はワールドカップでの優勝とイタリアでのプレーだと書いています。前者はまだ叶えられていませんが、後者は見事に実現しています。しかもイタリアの名門ACミランで背番号10を纏うという、快挙を成し遂げています。しかし、本田圭佑には辛い挫折もありました。中学時代にはガンバ大阪のジュニアユースチームからユースチームへ昇格できず、高校へ進学してのプロ入りという回り道を経験しています。当時のガンバ大阪のジュニアユースチームは家長や安田など若くして天才ともてはやされた逸材たちがひしめき合っていました。本田圭佑はその競争に敗れたのです。石川県の星稜高校に進学した本田圭佑は全国高校サッカー選手権や高円宮杯で好成績を残し、名古屋グランパスに入団しました。そして1年目ながらレギュラークラスへと成長し、2年目には完全にレギュラーポジションを奪取しています。

悲願の欧州移籍

そして2008年にはグランパスでの活躍が認められ、オランダ2部リーグののVVVというチームに移籍することになりました。ここでは2部ながらチームのMVPを受賞し、チームの1部昇格に大きく貢献しています。VVVは残念なから1年で2部に逆戻りしてしまいましたが、本田圭佑は抜群の存在感を見せつけて、チームのMVPとキャプテンを務めあげました。日本人が異国の地でキャプテンを勤め上げるということは他に例がありません。いかにこのレフティが絶対的な存在だったか知ることができます。

日本代表として南アフリカワールドカップに出場し、飛躍

オランダで実績を残した本田圭佑は、日本代表としても中心選手としての地位を確立し、2010年南アフリカワールドカップに背番号18番を背負って出場しました。ワールドカップでは不慣れなセンターフォワードを務めあげ、総合的な攻撃力の高さを証明しています。とくにグループリーグのデンマーク戦で見せたフリーキックは無回転のままGKの前でするどく変化して、ゴールに突き刺さりました。このシュートにより多くのスカウトの注目を集めました。日本代表も過去最高のベスト16という好成績を収めています。この金髪のレフティは日本代表攻撃陣の中核として、そして中心選手として世界中に認知されるようになりました。

ワールドカップで飛躍し、ロシアへ移籍

ワールドカップを経て、ロシアの強豪CSKAモスクワに移籍しました。

ロシアでは背番号7番をつけてプレーしました。このCSKAモスクワではチャンピオンズリーグ出場も果たしており、本田圭佑のゴールでロシア勢としては初のベスト8進出という快挙を為したげました。この背番号7はマルチロールとしても活躍し、長くCSKAの中心選手として活躍しました。0

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2014年には悲願のイタリア移籍

ロシア時代には大きな怪我に見舞われるアクシデントもありましたが、このレフティのアタッカーは見事にACミラン移籍を実現しました。そして、ACミランから与えられた背番号は10番でした。しかし、この背番号10を与えられたことで、本田圭佑は多くの批判に苛まれることになるのです。

背番号10をめぐる批判

その背番号10をめぐる批判の急先鋒は元ACミランのキャプテン、パオロ・マルディーニでした。マルディーニは日本代表のエースについて、模範的な選手ではあるが過去のACミランであれば加入することすらできないと評し、背番号10をつけるには値しないと批判しました。ちなみにマルディーニの背番号3は永久欠番となっています。

さらには、マルディーニと共にACミランの最終ラインを長く支えたアレッサンドロ・コスタクルタも本田圭佑には背番号10を纏う能力がないと批判しました。そして、それは過去に実際に背番号10を身につけた元クロアチア代表のズボニミール・ボバンも同調しました。

過去の偉大な背番号10たち

ACミランの歴史は偉大な背番号10とともに作られてきました。ここからは過去にACミランで背番号10を纏った偉人たちを紹介します。まずは、ジャンニ・リベラ。15歳という年齢でトップチームにデビューするという早熟の天才で、チャンピオンズリーグを2度。セリエAを3度制するなど、攻撃の中心選手としてACミランを牽引しました。69年にはヨーロッパ最高の選手に渡されるバロンドールも受賞しています。そしてリベラの次に背番号10を継承したのが、オランダトリオの一角、ルート・フリットです。ドレッドヘアーをなびかせながらプレーする姿が印象的な選手で、オランダ代表でも同僚だった、マルコ・ファンバステンやフランク・ライカールトらと共にプレーし、無敗優勝を含む3度セリエAを制するなどをACミランの黄金期を支えました。

クロアチア勢が背番号10を継承

フリットの次に背番号10を纏ったのが、元クロアチア代表のデヤン・サビチェビッチです。93年から背番号10を纏ったサビチェビッチは、背番号固定制度が導入されたこともあり、ACミランのシンボリックな背番号10として君臨しました。鋭いドリブルを最も得意とし、突破からのスルーパスは彼の代名詞とも言える武器になりました。チャンピオンズリーグの決勝では圧倒的に不利という前評判の中でスペインのバルセロナと対戦し、絶妙なループシュートでゴールを決めるなど1ゴール1アシストの大活躍を披露し、4-0の大勝に貢献してみせました。98年には同じくクロアチア代表のズボニミール・ボバンが背番号10を継承しています。このボバンは記憶に新しい方もいるかもしれませんが、98年のフランスワールドカップでクロアチアを3位に導いた選手たちの一人で、グループリーグでは日本とも対戦したことがあるのです。当時旧ユーゴスラビアから分離独立したばかりで初出場だったクロアチアの躍進を予想するものは皆無でしたが、開催国フランスに敗れるまで圧倒的な強さで試合を制し、3位決定戦ではオランダを倒しました。このボバンはサビチェビッチよりははるかに司令塔やパサーとしてのカラーが強いタイプの背番号10で、持ち前のクリエイティビティを生かして、ACミランのオフェンスをオーガナイズしていました。さらには守備力といしのつよさも備えており、多くの人々やチームメイトを惹きつけるパーソナリティーやキャプテンシーも備えていました。このボバンは現在解説者としても評価を高めており、冷静な語り口が人気を集めています。

クロアチアの英雄の後継者は?

ボバンの後に背番号10を身につけたのが元ポルトガル代表のマヌエル・ルイコスタです。ルイス・フィーゴやパオロ・ソウザ、パウレタなどと共にポルトガルのゴールデンエイジの一人として若い頃からそのエレガントなプレーで注目を集めました。

ベンフィカ・リスボンというチームでキャリアをスタートさせ、セリエAのフィオレンティーナに移籍。元アルゼンチン代表のガブリエル・バティストゥータとともにフィオレンティーナの強力な攻撃を支えました。29歳でACミランに移籍して、背番号10を纏い、2003年にはチャンピオンズリーグ制覇を経験しています。アンチェロッティ政権の初期のACミランの攻撃の中心選手として、攻撃をオーガナイズし、ユベントスとの同国対決を制しました。タックルを受けても優雅にかわして相手をいなし、必殺のスルーパスを相手ディフェンスの急所に送り込むことができました。スピードの衰えを知性とテクニックで補うことができた稀有なテクニシャンです。ポルトガル代表でも背番号10を背負い、母国開催となった2004年のユーロではチームの準優勝に貢献しました。決勝で堅守のギリシャの前に敗れましたが、ポルトガルのゴールデンエイジの強さを示しています。ちなみにポルトガル代表としては2002年のワールドカップにも出場しましたが、韓国やアメリカに敗れ、グループリーグ敗退という残念な成績で東アジアを去っています。チャンピオンズリーグ制覇の後はブラジル代表のカカの台頭があり、常時スタメンではありませんでしたが、キャリアの最後はベンフィカに戻っており、現在はそのベンフィカでスポーツディレクターを務めています。

背番号10は再びオランダ人のもとへ

ルイコスタの後に背番号10を身につけたのが、元オランダ代表のクラレンス・セードルフです。セードルフは一昨シーズンまでACミランの監督を務めていたので、記憶に新しい方もいるかと思いますが、彼も栄えある背番号10番の系譜を継ぐファンタジスタです。

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2002年にACミランに加入し、2006年から背番号10を纏っています。その地位は元ブラジル代表のロナウジーニョが加入しても揺るがず、攻撃の軸として活躍しました。歴代の背番号10に比べると派手さや華やかこそは少し足りなかったのですが、総合力では歴代屈指の実力者です。正確なパスワークと無尽蔵のスタミナ、強烈なミドルシュートフリーキックと多くの武器を擁する万能型のアタッカーで、2003年と2007年の2度、ACミランでチャンピオンズリーグを制しています。このセードルフはチャンピオンズリーグとの相性がよく、アヤックスやレアル・マドリーでもビッグイヤーを掲げるなど多くの栄光に包まれました。異なる3チームでチャンピオンズリーグ優勝を果たしたのはセードルフだけという偉業中の偉業を成し遂げました。ACミランを退団後はブラジルのボダフォゴに移籍するという、欧州人としては珍しいキャリアを選択したことでも有名な選手です。その後ACミランから監督就任の多くのオファーを受けて引退しました。

ガーナのフィジカルモンスターはイブラと強力コンビを結成

2010年に本田圭佑と同じく南アフリカワールドカップでガーナ代表の一員として頭角を現したケビン・プリンス・ボアテングは2012年からACミランの背番号10を背負いました。とにかくフィジカルに長けたボアテングは縦に早い展開のサッカーを得意としていました。最終ラインからロングボールを前線に放り込み、それをスウェーデン代表のズラタン・イブラヒモビッチが抜群のキープ力で保持し、絶妙の落としでチャンスを演出するとそこにボアテングが走り込むというシンプルな戦術が機能します。ボアテングはゴールを量産しましたが、イブラヒモビッチが退団すると同時に強力なパートナーを失ったボアテングは失速します。攻撃が機能しなくなり、結局ドイツのシャルケに移籍しました。シャルケでは内田篤人とチームメイトですが、昨シーズンにチームの規律を乱したということで、戦力外になりました。現在はACミランで練習しており一月に正式にACミランに復帰するとの噂がまことしやかに流れています。本田圭佑との関係も注目の人事ですね☆ちなみにケビン・プリンスの弟のジェロームはドイツ代表のセンターバックで、いまや世界の5本の指に入るセンターバックと言われています。兄と同様に偉丈夫ですが、ガーナ代表ではなくドイツ代表を選択しました。ケビン・プリンスとは異母兄弟という関係になります。

そして背番号10は日本代表のアタッカーへ

そして2014年1月、本田圭佑がACミランに加わり、空位となっていた背番号10を身につけることになりました。この本田圭佑は背番号10を身につけることにプレッシャーはないと発言しています。

苦境が続く背番号10

しかし、ACミラン加入以降本田圭佑の苦戦は続いています。2シーズン目インザーギ政権の序盤こそゴールとアシストを連発するなど絶好調でしたが、次第にトーンダウンし存在感を落としていきました。そしてミハイロビッチに監督が変わった今シーズンは完全にベンチ要員となりました。システムは当初本田圭佑をトップ下に置いた4-3-1-2が基本形でしたが、結果が出ないと4-3-3に変更となりました。このフォーメーション変更に伴い本田圭佑のポジション、つまりトップ下はなくなりました。このフォーメーションを採用していた頃にはイタリア代表のMFアレッシオ・チェルチが右のウイングに入り本田圭佑は完全にサブに回ることになりました。ウイングは突破力が求められるので、チェルチの方が適正が高かったのです。そして、現在は中盤をフラットに並べた4-4-2が基本形となっています。チェルチも本田圭佑も結果が残せなかった右サイドはFWからフランス人の若手アタッカー、マァマドゥ・ニアングを抜擢しています。本田圭佑は現在、ニアング、チェルチに次ぐ右サイドの三番手という位置付けです。こちらの動画にミラン期待の若手ニアングが出ています。

何度かの試行錯誤を重ねながらもなかなか結果が出ないACミランはミハイロビッチ監督の更迭も噂されています。後任の噂は聞きませんが、このまま低空飛行が続くようであれば、解任は避けられそうもありません。そしてミランは既存戦力の何人かも放出の噂が流れています。筆頭にいるのは本田圭佑を始め、元フランス代表DFフィリップ・メクセス、オランダ代表MFナイジェル・デヨングなどです。

背番号10の去就は?

現在本田圭佑はミランからの移籍の噂が流れています。移籍先として名前が上がっているのがイングランド・プレミアリーグのトッテナム・ホットスパー、エバートン、ウエストハム、セリエAのボローニャ、リーガ・エスパニョーラのバレンシアなどです。いずれも知名度の高い強豪です。これらのクラブに移籍して日本代表のエースが出場機会が増えるかどうかはわかりませんが、このレフティが加わることでアジアでのクラブの知名度が上がることはまぎれもない事実。注目度の高いオペレーションになるでしょう。

今日の総括~ACミランの背番号10番の歴史~

本日は本田圭佑と背番号10をめぐる、ACミランの歴史についてお伝えしました。今回はミランで背番号10を纏った選手だけに注目してお伝えしましたが、世界屈指の名門であるACミランには各ポジションに超一流の選手がズラリと並んでいました。現在のミランは当時に比べると見劣りする選手層となっています。そして日本代表のエースも例外ではなく、背番号10としてもそうですが、トップ下というポジションにおいてもACミランにはブラジル代表のMFカカという歴史に名を残すであろうアタッカーがいたので、どうしてもその後任というのは霞んでしまいがちです。果たして日本代表のエースはこの逆境を乗り越えて、再びレギュラーの座を奪い返すことが出来るのでしょうか?そして、ACミランでの今後はどうなるのでしょうか?本田圭佑の動向から目が離せません。本日は本田圭佑とミランの背番号10をめぐる歴史についてお伝えしました。それでは、さようなら☆

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