本田圭佑のロシアW杯への想いをお伝えします。
惨敗に終ったブラジルW杯を経て、本田圭佑が
思い出の地ロシアでのW杯出場にむけて再び動き出しました。本田圭佑の日本代表での動向と活躍、そして現在の立ち位置をお伝えします☆
2008年から日本代表入りし、それいこう中心選手としてチームを牽引してきた本田圭佑。2010年南アフリカW杯での飛躍、新旧エースの交替、キャリアを左右する大怪我、そして優勝を狙った2014年W杯での惨敗。多くの出来事を経て、本田圭佑は何を思うのでしょうか?
日本代表はロシアW杯出場へむけて邁進!
本田圭佑を中心とする日本代表はロシアW杯出場へむけて現在アジア二次予選のグループで首位を走っています。
初戦こそ格下シンガポールに徹底的に守備陣形を引かれ(11人全員が自陣に引きこもる超守備的陣形でした。)、無得点の引き分けに終わりましたが、その後はカンボジアやシリアなどを退けて、現在は首位に位置しています。このままいけば最終予選への進出は確実だと言われています。
その中で本田圭佑は日本代表としては初の5試合連続得点記録を絶賛更新中です☆常に得点力不足を叫ばれてきた本田圭佑でしたが、ここ最近の代表ではゴールを連発し、チームのW杯出場へむけて牽引車ともいえる存在になっています。時にはディフェンスやゴールからはなれたいちでの仕事もこなさなければならない本田圭佑ですが、そんな中でもゴールをあげ続けています。とはいえ、これまでの試合はほとんどがFIFAランキングで日本を大きく下回る格下ばかりで、W杯常連の強豪たちに対して得点をあげることができるのか、今後のW杯予選やW杯本大会では本田圭佑には本当の能力が問われると思われます。
本田圭佑代表での実績
ロシアW杯への出場と日本代表として初のW杯制覇を狙う本田圭佑。この金髪のレフティは日本代表として多くの実績をあげてきました。
2008年にA代表入りした本田圭佑。当時の日本代表は2006年大会の惨敗から多くの中心選手が入れ替わる過渡期の状況でした。監督人事はオシム政権がトラブルのため長引かず、岡田監督にバトンが渡されましたがボールを支配してプレーする日本代表のスタイルはなかなか機能せず、中村俊介の個人技に頼るかたちになっていました。本田圭佑は当時の日本代表のエース中村俊介の後継者として名古屋グランパスで台頭してきていました。
その後、オランダのVVVに移籍し日本代表では抜群の勝負強さであっという間に中心選手へと成長しました。
本田圭佑、初のW杯出場
日本代表は大いに苦戦しながらもW杯出場を決めました。しかし、なかなか結果がでないチームに対してマスコミやサポーターからは批判の嵐が巻き起こっていました。岡田監督にも解任要求が高まるなど混乱をきたしていました。
そんななか、日本代表はW杯本大会直前でチーム戦術の変更を決断しました。
これまで中村俊介を中心にしていたボールポゼッションを重視する戦術から、ボールの主導権を相手に渡しカウンターに活路を見いだすスタイルに変更したのです。
それに伴い、中村俊介や楢崎などこれまで代表チームの中心を担ってきた選手がベンチに降格し、本田圭佑や長友など身体能力に長けた選手を中心とするチームになりました。中村俊介はセルティックでチャンピオンズリーグに出場するなどキャリアのピークを過ごしてきた時代から一変しており、スペイン・リーガエスパニョーラの中堅チーム、エスパニョールで出場機会がなく、苦しんでいました。結局W杯での活躍のためにスペインでの挑戦を半年であきらめて、古巣の横浜F・マリノスに復帰しています。
先日、タレントの清水圭さんが自身のブログにて暴露にしたことで話題になったのが、中村俊介との軋轢。共にW杯を目指して戦う仲間でしたが、清水圭さんの話によると、日本代表の試合中に本田圭佑が中村俊介に許しがたい発言をしたのだとか。この頃の本田圭佑は日本代表での地位獲得に対して強烈な野心を燃やしていました。例えば当時の日本代表はプレースキックは基本的に中村俊介に任さ
れていましたが、本田圭佑は逐一自分が蹴りたいと主張しました。中村俊介は基本的には相手にしませんでしたが、新入りの態度に腹をたてていたというのが専らの噂です。清水圭さんはブログを削除してしまいました。いくら共に戦いW杯を目指す仲間といえど選手一人ひとりは自分にスポットライトが当たらないと今後サッカー選手として食べていくことができません。今回のこの騒動は個人が全体とどう折り合いをつけるのか、サッカーのマネジメントにおけるむずかしい問題を提起したと思います。
中村俊介といえば2006年W杯当時にも中田英寿など周囲の選手との折り合いがよくなかったという噂もあります。とくにあの頃の日本代表は現在よりも個性的な選手が揃っていて、チームとしてのまとまりやコンセプトの有無には終始欠けていたように思いました。監督は元ブラジル代表のエース・ジーコでしたが、このカリスマにして日本サッカーの礎を築いた人でもこの個性的なチームをまとめるまでにはいかなかったのです。中田自身も宮本などと関係が良くなかったことを引退表明の際のブログで明らかにしています。
日本代表はW杯で躍進!!
話が脱線してしまいましたが、結果としてはこの戦術の変更があたり、日本代表は南アフリカW杯でベスト16という予想を上回る結果を残しました。
本田圭佑はカウンター戦術の中心として、不馴れなセンターフォワードのポジションを任されましたが、この期待に答え、2得点をあげる活躍を見せました。カメルーン戦での先制点に加え、デンマーク戦ではフリーキックを決めるなど大活躍でした。
ちなみにこの南アフリカW杯ではイタリア、フランスという2006年ドイツW杯のファイナリストがグループリーグで敗退するという、珍しい現象が起きました。W杯のジンクスで初開催の大陸では大波乱が起きるという傾向があり、2002年の日韓W杯ではポルトガル、フランス、アルゼンチンなどが早期敗退しています。つまりこの南アフリカW杯は波乱の大会だったんですね。例えば南米ではあまり目だ立たなかったウルグアイがベスト4に進出し、さほど期待されていなかったオランダが決勝に進出しています。
南アフリカW杯を契機にさらに飛躍し、ロシアへ
この南アフリカW杯での活躍を機に本田圭佑は多くのクラブから注目を集める存在となりました。その中から選択したのがロシアの強豪CSKAモスクワです。
ロシアでも屈指の強豪で、近年ではチャンピオンズリーグやヨーロッパリーグの舞台でも目を見張る結果をのこしています。近年のロシア勢は西欧の強豪も侮れないほどの力をつけており、2018年W杯の開催にむけてロシアという国が総力をあげてサッカーに取り組んでいます。ロシア国内ではCSKAモスクワ、ディナモモスクワ、ロコモティフモスクワのモスクワ勢に加えて、ゼニト・サンクトペテルブルクやアンジ・マハチカラなどがしのぎあっているのが、現在のロシアリーグです。
本田圭佑が所属するCSKAモスクワはロシア代表を中心に構成されたチームです。特に守備陣にはロシア代表のセットがそのまま採用されるなど、ロシア国内でも屈指の充実度をもっています。
本田圭佑はロシア代表クラスの選手たちにも負けない輝きを放ちました。チャンピオンズリーグではロシア勢として初のベスト8に進出しています。スペインの強豪セビージャ戦ではフリーキックを直接沈めるなど勝利に貢献する活躍を見せています。
ロシア時代には怪我との戦いも経験
2014年W杯、そして西欧のビッククラブ移籍という夢にむけて爆心する本田圭佑でしたが、このロシア時代には大怪我に見舞われるアクシデントにも遭遇しています。

2013年にロシアリーグでの試合で、右膝の靭帯を負傷し、長期離脱を強いられました。
特にブラジルW杯予選を戦うザック・ジャパンへの影響は大きいものでした。絶対的なエースを欠いた状態で足踏みし、W杯出場にむけて苦戦が続いていました。
しかし、本田圭佑はこの長期離脱の期間に一念発起し、肉体改造を決断します。弱点と言われていたスピードを強化するために下半身のインナーマッスルを徹底的に鍛え上げたのです。
本田圭佑はNHKで放送された「プロフェッショナル 仕事の流儀」で離脱していた期間の思いを語っており、「怪我はチャンスだと思った」と発言しています。本田圭佑の精神的な強さが伺えます。
復帰後は大活躍で日本代表のW杯出場を牽引
復帰後のこのレフティはエースとしてチームを牽引します。3試合で4ゴールをあげる活躍を披露し抜群の勝負強さと存在感を見せつけました。
引き分け以上でW杯出場が決まるオーストラリア戦では、日本代表は終始優勢に試合を進めてきましたが、不運な失点。しかし、一点リードされた場面でPKキッカーを任され、これを決めてみせました。日本中を歓喜に沸かせたのです。
ロシアでも結果を残す
日本代表のエースが離脱していたCSKAモスクワですがこのレフティが復帰すると、チームも徐々に調子を取り戻し、ロシアリーグでの低迷を取り返していきました。
W杯のプレ大会コンフェデレーションズカップ
ブラジルW杯本大会への出場を決めた日本代表は、2013年の6月にコンフェデレーションズカップにアジアの代表として出場しました。
コンフェデレーションズカップとはW杯のプレ大会にあたる大会で各大陸の優勝チームに加えて、開催国と世界王者が参戦します。
このコンフェデレーションズカップで優勝したチームはW杯の本大会では優勝できないなんて言うジンクスがある大会でもあります。
日本代表は開催国ブラジル、ヨーロッパ二位のイタリア、北中米カリブ海王者のメキシコらと同じ組になりました。
本田圭佑はこの大会での優勝を高らかに宣言しましたが、現実は厳しく、三戦全敗という結果に終わりました。
日本代表は激しいバッシングを浴びせられました。
ミラン移籍!
日本代表のエースに成長し、ロシアで大きな実績を残した本田圭佑は2014年1月にイタリアのメガクラブ・ACミラン移籍が決定しました。
最後のシーズンこそロシアリーグではさしたるインパクトを残すことができませんでしたが、ロシアでは毎シーズンのようにロシアリーグとチャンピオンズリーグで結果を残しており、レアルやインテルなどの強豪との戦いも経験した本田圭佑がいよいよイタリア・セリエAに挑戦することになりました。
ミラン移籍の実現は1月でしたがその数ヵ月前から移籍は規定路線と言われていました。CSKAとの契約が12月に満了し、1月に無償でミランに加入という流れでした。ロシアリーグのカレンダーの都合で、12月に契約が終わり、もともと戦力の補強にお金がかけられなかったミランがそれに便乗する形となりました。
イタリア移籍は世界中で大きな注目を集めましたが、ACミランは元オランダ代表のセードルフ監督のもとで低迷を続けていました。
ミランでは救世主的な存在として扱われていましたが 、チームの不調にも足を引っ張られる形で、目を見張る成績を残すことはできませんでした。
ちなみにミランの入団会見ではコンフェデレーションズカップでイタリアに敗戦したことを挙げ、W杯の本大会ではイタリアに勝ちたいとも発言しています。
ブラジルW杯へ
ブラジルW杯でも本田圭佑は優勝を高らかに宣言しましたが、あえなく敗戦を余儀なくされました。
初戦でコートジボワールに敗戦し、2戦目では一人少ないギリシャを攻めきることができずドロー。そして3戦目ではコロンビアに大敗を喫し、本田圭佑にとって二回目のW杯は苦い記憶と共に終わりました。
W杯目標という大きな目標を掲げたにも関わらず惨敗を喫した日本代表には批判が集中し、特にその中心にいた本田圭佑への批判は常軌を逸していました。このエース自身は初戦のコートジボワール戦で1ゴールをあげ、なんとか面目を立てましたが、やはりW杯優勝をかかげた中心人物だけあって及第点の出来では許されませんでした。
ちなみにロシア代表も不本意な内容でさほど難しくないと思われた韓国やベルギーなどと同居したクループリーグから敗退しました。内容もよろしくなく、次回のW杯の開催国として、不安をのぞかせています。

本田圭佑のロシアW杯への思い
本田圭佑はロシアW杯に強い思い入れがあります。本田圭佑自身がロシアでのプレー経験がある思いでの地であり、恐らくW杯に出られる最後のチャンスです。そして何よりもW杯での優勝は彼にとっての悲願でもあります。
本田圭佑は日本国内に自身が経営するサッカースクールと、オーストリアにクラブを持ち、未来の日本代表選手の育成を考えています。それほどW杯への思いは強いのです。
ロシアへは疑惑の視線が
2010年にカタールと共に開催が決まったロシアW杯ですが、現在賄賂があったと黒い噂が立っています。もし賄賂の疑いが事実だった場合は開催権の剥奪もありうるとFIFAは示唆しています。
とはいえそのFIFAも現在汚職疑惑の真最中。ブラッター元会長は辞任し、プラティニも退任させられました。ロシアとカタールをめぐる裏金や過去の大会での不正を疑われてのものです。このままフェアでかつ正当な形でロシアW杯か開催されるのか非常に疑わしい状況にあります。
またトルコやシリアとの関係も危惧されており、ロシアでのW杯が安全に開かれるのか、危惧されています。
ロシア代表も不調
ロシア代表は2016年にフランスで行われるユーロにこそ出場を決めましたが、近年は2008年のユーロでベスト4に進出した時のような強さを取り戻せない低空飛行か続いています。ファビオ・カペッロ監督も解任され、現在は本田圭佑のCSKA時代の恩師のスルツキがロシアの監督を務めています。
前述の通り2014年のW杯ではグループリーグで敗退し、2010年大会は予選で敗退しています。
ユーロ予選でもさほど難しくないと思われたグループでなんとか二位に滑り込むという状況で、スウェーデンの不調にも助けられました。それから新興国オーストリアの後塵をきっするという屈辱もロシア代表は経験しました。今後スルツキ監督がどのような采配をするのか注目が集まりますが、大きな期待をよせることができないというのが、ロシア代表の現状かもしれません。
ロシア代表の戦力
ロシア代表の戦力はGKこそアキンフェエフという信頼できる選手ですが、W杯ではミスもしており、大舞台のプレッシャーに耐えられるのか疑わしいです。あるいは現在ゼニトで大活躍を見せている若きGKロディギンがW杯ではロシア代表の正GKに座っているかもしれません。
ベレズツキ兄弟とイグナシェビッチを中心とする守備陣は高齢化がきぐされているのがロシア代表の守備陣の状況です。
攻撃陣にも若い選手が出てきていえるともいえず、ロシア代表の展望はやや暗いものとなっています。唯一の希望はアーセナル移籍が噂される万能型FWのココーリンくらいでしょうか。
果たして今回のユーロをステップにW杯での躍進を遂げるのでしょうか?ロシア代表の動向に注目です。
ロシアのクラブは
ロシアリーグのクラブはチャンピオンズリーグやヨーロッパリーグなどの国際舞台でも成果を残しています。ロシア代表勢を中心に外国人選手を交えた編成で西欧の強国を苦しめる存在となっています。
CSKAモスクワはマンチェスターユナイテッドやヴォルフスブルグなどの強豪が在籍するグループで苦戦を強いられていますが、ゼニト・サンクトペテルブルグはスペインの強豪バレンシアを差し置いてグループリーグで首位に立っています。
ゼニトはロシア勢よりも外国人が主体のチームで、CSKAモスクワはよりロシア人がメインのチーム構成で、チャンピオンズリーグでの上位進出を目指しています。
果たしてロシアのクラブチームの好調を代表に持ち込めるのでしょうか?
三度目のW杯へ
2018年に本田圭佑にとって三度目のW杯を迎えます。特に攻撃陣に多くの若手逸材が輩出されている日本代表で本田圭佑は自身の地位を保ちロシアW杯のピッチに立てるのでしょうか?
所属するACミランではさほど多い出場機会を得ているとは言えず苦しい日々が続いています。
この状況を打破すべく移籍するのか、それとも残留しレギュラー争いをするのかその判断は本田自身に委ねられています。
このレフティの悲願はW杯と同様にチャンピオンズリーグの制覇も含まれます。もし制覇した場合は日本人としては初の栄光ということになります。
ミランに所属していれば、力を取り戻した末いつかチャンピオンズリーグを制覇することができるかもしれませんが、レギュラーとしての栄光はないかもしれません。しかし、噂に上がっているトッテナムやエバートンに移籍すればレギュラーの座は与えられるかもしれませんが、チャンピオンズリーグでの躍進は難しくなると思われます。
判断が難しいですが、筆者の予想ではレギュラーの座を求めて移籍する可能性が高いと思います。このレフティにとってはW杯の出場と制覇は悲願と言えるでしょう。
今回は本田圭佑のロシアW杯への思いをお伝えしました。彼の人生を振り返ることでW杯への強い思いを知ることができました。恐らくこのレフティにとってはロシアW杯が最後のW杯になります。そこでどのようなプレーを見せるのか、キャリアの晩年に向けた日本代表のエースの動向から目がはなせません。

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