あなたは知っていましたか?
羽生結弦は平昌オリンピック終了後、引退する計画があったと言われているのを…
平昌オリンピックで2連覇を達成した羽生結弦。
史上たった2人しか達成していない歴史的な偉業を成し遂げた羽生結弦は…
2017-2018シーズン以降も現役を続行することを表明しています。
それでは、なぜ羽生結弦はオリンピック後も現役を続ける決断を下したのでしょうか?
そしてその背景には何があったのでしょうか…
今回は羽生結弦の引退後のプランについてお伝えします。
誰もがオリンピック連覇は難しいと思っていた。でも彼がリンクに立つと…
羽生結弦が平昌オリンピックで金メダルを獲得しました。
男子のフィギュアスケートで連覇を達成するのは、66年ぶりという快挙を達成したことになります。
ショートプログラムで111.68点、フリーで206.17点を獲得し、終わってみれば2位の宇野昌磨に大差をつけての戴冠となりました。
2017年11月に負った右足首の状態は、周囲が考える以上に深刻だと言われており、オリンピック2連覇は難しいと予想されていました。
しかし、終わってみれば王者の貫禄を見せつけて金メダルを掴みとりました。
改めて羽生結弦の能力の高さ、精神的な強さを証明された大会となりました。
そして一部の人々は、羽生結弦がこの平昌オリンピックで金メダルを獲得することができたのは、『ある覚悟』があったからだと考えていました…
いかにして、羽生結弦は金メダルを掴みとったのか?
羽生結弦が決めていた『覚悟』。
それは平昌オリンピック後の2017-2018シーズンをもってして、引退するという覚悟だったと言われています。
引退という覚悟が、羽生結弦を大いに後押ししたのではないか、と言われています。
多くの人々が羽生結弦の引退のタイミングが平昌の後にあると感じたのは、羽生結弦の自身の発言があったからです。
『小さいときから平昌でと決めていた。ソチで取って、平昌で取って終わり』
こちらは2015年8月に開かれた懇親会での羽生結弦の引退に関する発言です。
この懇親会ではメディア関係者も招待されており、この時に羽生結弦は引退についてコメントしたと言われています。
この羽生結弦の引退に関するコメントは即新聞に掲載され、「羽生結弦は平昌オリンピックを持ってして引退するのではないか」という噂がまことしやかに囁かれ始めました。
しかし、後日のインタビューで羽生結弦には2017-2018シーズン終了後の引退の予定はなく、競技生活を続行する計画であることを表明し、ファンの人々を喜ばせています。
恐らく、本人が思っていた以上に2018年の段階でコンディションが良かったのでしょう。
こちらは、羽生結弦のオリンピック後の計画を語ったインタビューの内容です。
『もうちょっと滑ると思う。みんなと滑りながら、いろいろ考えていきたい』

3月の世界選手権への出場に関しては明言を避けたものの、引退はせず現役を続行することを発表しました。
羽生結弦が語った『もうちょっとだけ』という数字がどの程度の時間を指すのかは、恐らく本人にしかわかりません。
一部のメディアで取り上げられた、『2022年の北京オリンピックで3連覇』という報道は…
現実味はほとんどないと言えるでしょう。
仮にオリンピック3連覇を果たしたとしたら、1920年のアントワープ大会、1924年のシャモニー大会、1928年のサンモリッツを制したギリス・グラフストローム以来の快挙となります。
しかし、11月に負った右足首の怪我は想像以上に重く、今後のキャリアに向けて深刻なダメージを残したことは間違いありません。
2018年2月の時点で23歳で、向こう4年間は年齢的な肉体の衰えと戦いながらの競技生活を続けることも考えづらいと言えます。
だからこそ、羽生結弦の『あとちょっとだけ』という言葉の意味は恐らく1年か2年だと考えられるでしょう。
そして、既に羽生結弦には引退後の計画があることも明言しています。
コレが羽生結弦の引退後の計画!
羽生結弦が金メダル獲得後のインタビューで語った引退後の計画はこちらです。
『まだ英語ももっと勉強しなきゃいけないけど、世界中、色んなところを周りながら、スケートで本気で1位を目指している人の手助けができたらと思う』
このインタビューで羽生結弦は引退後、コメンテーターやタレントとしてではなく、指導者として生計を立てていく計画があることがわかりました。
確かに羽生結弦の言葉通り、オリンピックという志向の舞台で金メダルを獲得したという実績、そして経験を伝えることは若いスケーターにとっては最高のアドバイスになる可能性があります。
羽生結弦自身も、現在指導を受けているブライアン・オーサーからのコーチングを受けてソチ、平昌の2つのオリンピックを制しているように、指導者の重要性は理解しているのでしょう。
彼らのように、競技生活からの引退後に指導者へと転身するというプランがあるようです。
しかし、いくらオリンピックを連覇した実績を持つ羽生結弦であっても指導者として成功する保証は、残念ながらないのです…
なぜ、国際レベルで通用する日本人コーチがいないのか?
羽生結弦自身が外国人講師のブライアン・オーサーに指導を依頼しているように、残念ながらフィギュアスケートにおける日本人講師の需要は高くありません。
めぼしいところでは、平昌オリンピックで羽生結弦に次ぐ2位を獲得したと宇野昌磨が山田満知子女史、樋口美穂子女史の両者、そして女子では宮原知子が濱田美栄女史、田村岳斗氏、岡本治子女史の3者に、坂本花織が中野園子女史に依頼している位で、外国人からのニーズは低いのが現実なのです。
もちろん、羽生結弦と宇野昌磨がワンツーフィニッシュを果たしたように、着実に評価を高めつつありますが、これからどれくらいその市場価値が上がってくるかはわかりません。
言葉の問題もあり、積極的に日本人コーチに依頼しようとする外国人選手は非常に珍しいケースなのです。
しかし、羽生結弦の引退後のプランは人々の想像の斜め上を行くものであることがわかりました…
いかにして、羽生結弦は引退後のキャリアを切り開くのか?
羽生結弦が考えていた引退後のプランは、フィギュアスケートの枠を超えた壮大なものであることがわかりました。
『コーチをしたいなという気持ちはなくなってきたのかな。枠組みにあまりとらわれたくない。できるなら、講師がいいな。別にスケート以外でいろんなことをしたい。メンタルな話だとか、練習環境なども勉強しているし、出来ると思います』
恐らく羽生結弦が言いたかった引退後のプランは金メダリスト養成のためのアドバイザーだと思われます。
競技的な部分の枠を超えて、第三者的なアプローチでアスリートを後方支援したいという計画があるようです。
ただし、やはりまだ引退後の具体的な計画は見えていないようです。
それは、アマチュアスケートを引退し、アイスショーなどで稼ぐプロスケーターとしての道にもこだわりがあるからだ、と言われています…

羽生結弦がスケートリンクにこだわる理由!
羽生結弦のスケーティングに対する執着にはかなり強い想いが感じられます…
『ソチ、平昌で(金メダルを)取って終わり。小さい頃から決めていた。そこからプロスケーターをやろうと思っていた。プロの仕事を全うできる体力の状態で、プロとしてやりたい』
こちらは先にも紹介した2015年に行われたインタビューの一部を抜粋したものです。
羽生結弦の引退後のプランには、プロスケーターという道もあるようです。
しかし、一方でより『気楽な道』もあります。
それは、フィギュアスケートのコメンテーター兼タレントという立場。
ここ最近ではフィギュアスケートの人気の高まりとともに、元フィギュア選手をお茶の間で見かける機会が非常に増えています。
織田信成
安藤美姫
村上佳菜子
などはすっかりタレントとして定着しました。
既に国民の英雄的な存在である羽生結弦であれば、肉体的に過酷なスケーターとしての道に進むのではなく、タレントとしてもニーズがあるはず。
しかし、羽生結弦本人には引退後にタレントとして生きていくというプランはあまりないようです。
『コメンテーターというのもあるのかもしれないけど、テレビよりも、できれば直接手助けできれば』
あくまで羽生結弦の引退後のプランはスケートリンクの上にあるようです。
そして、スケーターとしての心残りもあるようです。
それは、4回転アクセル(4回転半)という大技。
大会はもちろん練習ですら未だに誰も成功させたことがないと言われる大技中の大技の成功が羽生結弦の残された競技人生におけるタスクとなっています。
『取るもの(金メダル)は取った。モチベーションは全て4回転アクセル(4回転半ジャンプ)だけ。4回転半を目指したい』
こちらは平昌オリンピックで金メダルを獲得した後のインタビューを一部抜粋したものです。
既に3月の世界選手権の欠場を発表しており、挑戦のチャンスは確実に少なくなりつつあります。
右足の状態は完璧ではなく、暫くは回復も兼ねた休養に入ることを明言しており、次はいつ私たちの前で演技を披露してくれるのでしょうか…
今回は羽生結弦の引退後のプランについてお伝えしました。
そして、下のリンクでは羽生結弦の競技生活を支えた家族について紹介しています。
羽生結弦が育ったのは、どのような家庭だったのでしょうか?
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