【過酷】香川真司の生い立ち【CM】

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サッカー選手は過酷な生い立ちに生まれた選手が多いことを知っていますか?香川真司の生い立ちや過去はあまり知らされていません。例えば、本田圭佑の生い立ちや少年時代の経験が頻繁に噂される一方で、香川真司の生い立ちはなかなか知られることがないのです。

サッカーはメンタルスポーツで、能力以上に精神の強さがものをいうスポーツです。香川真司の精神はどんな環境で育まれたのでしょうか?本日はこの小柄なMFの生い立ちに迫ってみましょう。

天才と言われた少年の決断

香川真司は天才です。小さな頃からサッカーに取り組んできましたが、多くの指導者が香川真司を見てその類稀な才能に驚かされたといいます。そして、神戸に住んでいた香川真司は小学生にして一つの決断をします。それは故郷を離れて、東北の地でプレーすること。小柄なMFがたどり着いたのは、「FCみやぎバルセロナ」。その名の通り、世界屈指の強豪バルセロナが日本に作ったサテライトチームです。この小柄なMFにどこかバルセロナのキャプテン、アンドレス・イニエスタと同じ香りがするのは、このチームに在籍していたからかもしれません。その後、セレッソ大阪のユースチームから高校生でトップチームいりし、ドイツの強豪ドルトムントに移籍しました。ドルトムントでの2シーズンに渡る大活躍を経てマンチェスターユナイテッドに移籍しています。

香川真司の生い立ちを追ったCMが話題に!

2014年6月、ある一本のCMが日本中で話題になりました。それは、香川真司の生い立ちを追ったCMで、香川真司の出生から日本代表として試合に出場するところまでを、描いたCMです。このCMは1日限定で流されたCMで、この日は現在の国立競技場で試合が行われる最後の日でした。そんな日に香川真司の生い立ちを主題としたCMが流れたのです。

 

もちろんこのCMは2020年の東京オリンピックが開催される記念とそこでプレーする香川真司の生い立ちを表現したものです。このCMは香川真司が出生したところから始まるとゆったりとのどかな場面が流されます。(まだこの時は香川真司の生い立ちを追いかけたものだとはわかりません)そして、舞台は東北、そしてセレッソと移り変わり、ようやく香川真司の生い立ちを追いかけたものだということに気づきます。そして、ドルトムントでの入団会見、マンチェスターユナイテッドでの入団会見と明らかに小柄なMFの生い立ちだとわかる頃にはドンドンとテンポよく画面が切り替わっていくのが、非常に気持ち良くなっていきます。途中には元日本代表の森島寛晃選手も登場します。

森島寛晃選手はセレッソ大阪のレジェンド的な存在で彼の背番号7番は香川真司へと継承されました。

黄色いストーカー

香川真司の生い立ちを追いかけていく上で非常に重要なのがドルトムントの存在です。このクラブはブンデスリーガやチャンピオンズリーグで優勝するなどの抜群の実績を持っていながら、近年は経営不振で次々と有力選手が離脱していく状況が続いていました。これを見かねたドルトムントの首脳陣は育成に力を入れる方針に切り替え、世界中にスカウトを派遣して、知られざる逸材を探してきました。そしてそのスカウトが日本で見つけてきたのが、セレッソ大阪でプレーするこの小柄なMFでした。ドルトムントのスカウトは小柄ながらも完璧にボールを扱うことができるこの逸材を獲得しようと何度も日本にスタッフを送り込んだと言います。

香川真司の生い立ちも順風満帆ではなかった…

ここまで香川真司の生い立ちをお伝えしてきました。一見トントン拍子にステップアップし、日本代表の主軸としてプレーするレベルにまで達したと思われる香川真司ですが、現実は違いました。まず、5歳の時には阪神淡路大震災を経験します。お父さんはタンスが倒れないように懸命に支えてくれて、住んでいたマンションは断水してしまったんだとか。変わり果てた故郷の姿に大きなショックを受けました。そんな香川真司の心を大きく揺さぶったのが、元日本代表の三浦知良。「カズさんのようにJリーガーになりたい」。幼い香川真司は決意しました。

そして、中学のときにプレーした宮城でも、幼くして家族と離れ離れになって生活するという苦境を味わいましたが、夢を叶えるために懸命に練習したと言います。香川真司は類稀な才能だけで、現在に至ると思われたがちですが、実は困難を乗り越えて現在に至る生い立ちなのです。

世界には超過酷な生い立ちを持つ選手たちが…

ここまで香川真司の生い立ちを追いかけてきました。しかし、日本代表選手の挫折などお話にならない生い立ちを持つ選手が世の中にはたくさんいます。アルゼンチン代表のカルロス・テベスは、ブエノスアイレスのスラム街の出身です。万引きなどが当たり前のように横行する地域で生まれ育ち、まともに学校にも通えなかったと言います。

そんな過酷な生い立ちを持つテベスが熱狂したのが、ストリートサッカーでした。しかし、その環境はとても悲惨で車が行き交う道路のすぐ横で少年テベスはプレーしていました。「コントロールをミスしたら死ぬ。だから絶対負けられなかった」。日本でプレーする選手には考えられない言葉です。そしてテベスの底知れる闘争心の源はこの過酷な生い立ちからきていることは間違いないでしょう。

怪物の生い立ちも過酷

元ブラジル代表で元祖怪物のロナウドも過酷な生い立ちの持ち主です。リオデジャネイロのスラム街に生を受けたロナウドは、父親が麻薬絡みの罰で収監され、極貧の家庭で生まれ育ちました。

しかし、地元のクラブチームに入団するとサクセスストーリーが始まります。そこからブラジルの名門チームであるクルゼイロに入団すると、オランダのPSVに移籍。そこからはバルセロナ、インテル、レアルマドリーとトントン拍子にステップアップしていきました。クルゼイロのスカウトはロナウドを初めて見たときに最後まで、彼の利き足がわからなかったと言います。彼は過酷な生い立ちの中、ストリートで完璧に両足でボールを操る術を身につけていました。

小さなロナウドも過酷な生い立ち中で…

かつてバルセロナやパリサンジェルマンで活躍した元ブラジル代表のロナウジーニョ幼い頃に父を亡くすという過酷な生い立ちの持ち主ですが、兄のアシスがコンサドーレ札幌と契約したことで状況は一変。豪邸に住めるようになったんだとか。ただ、ロナウジーニョを育んだのはロナウドやテベスのようなストリートではなく、ビーチでした。ビーチでのサッカーは非常に難しく。彼のいかなる難しいボールでも簡単にトラップできる柔かな足首を手に入れたと言います。

過酷な生い立ちが凄まじい起爆剤になることがあるのもサッカーの面白さ。もちろんそれは、複雑なことではありますが、サッカーが世界中で愛され、そして各地でそれぞれの文化を醸造していることの証左でもあるんですね。

総括~香川真司の生い立ち~

本日は小柄なMFの生い立ちをご紹介しました。セレッソ大阪への入団以降、トントン拍子にスターへの階段を駆け上ったように見える香川真司ですが、実は阪神淡路大震災など辛い経験もありました。また、怪我に苦しんだ時期もありました。以外と苦労した生い立ちがあったことに驚かされたのはこの小柄なMFがあまり、闘志や感情の起伏を見せないからかもしれません。それからこの小柄なMFの生い立ちをおいかけたCMも非常に感動的でした。また、世界のスーパースター選手の生い立ちも紹介しました。過酷な生い立ちをバネに成功した彼らが一方で、消えていった逸材もたくさんいたことを考えると、日本は恵まれた環境だと言えるのかもしれないですね。本日は香川真司の生い立ちをご紹介しました。それでは、さようなら~☆

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