鹿島アントラーズの小笠原満男は非常にクールな男です。
サッカー選手にありがちな頻繁にメディアに登場するタイプでもなく、口数も非常に少ないです。
しかし、その性格を巡っては良くない噂も聞こえてきます。
なぜなら…
サポーターへのサインを拒んだという噂が聞こえてくるからです。
なぜ、鹿島アントラーズの小笠原はサインを拒んだのでしょうか?
鹿島アントラーズの小笠原にアンチが多い理由
Jリーグの王者の鹿島アントラーズでキャプテンの重責をこなしている小笠原満男。
37歳になり、2017年中には38歳になる大ベテランですが、未だにその能力に陰りが見えません。
元々鹿島アントラーズで攻撃的MFとして育った小笠原ですが、ここ数年は守備的MFとしてプレーするなど選手としての幅を広げています。
守備力を向上させ、決定的シーンを演出することばかりに拘泥するのではなく、ビルドアップの起点になるなど、非常にクレバーな選手へと変貌しました。
選手としての能力には一寸の疑いもない小笠原ですが、一方でアンチがいるのも確かです。
そして、小笠原にアンチがいる理由は、小笠原自身に問題があると言われています…
サポーターと小笠原…どちらが悪いのか?
それはあるインターネット掲示板に鹿島アントラーズのサポーターを名乗る人間が表れ、こんな投稿をしたことから始まります。
『小笠原選手にサインをお願いしたが、無愛想に断られた』
この鹿島アントラーズのサポーターを名乗る人物は、練習の見学に行き、サポーターの近くを練習を終えた小笠原が通過しようとした時にサインを依頼したそうです。
しかし、小笠原はこのサインのお願いを無視し、鹿島アントラーズのクラブハウスに戻っていってしまったというのです…
この小笠原のサイン拒否騒動は思いの外加熱し、この投稿者以外にも、同じような経験をしたという人がネット上に表れたのです。
この鹿島アントラーズの小笠原のサインをめぐる投稿が真実であるかはわかりません。
しかし、小笠原本人、そしてサインをお願いしたサポーターのどちらにも言い分はあるでしょう。
小笠原も練習後でサインに応じる余裕がなかった可能性は大いにあります。
しかもサインはあくまでサービスなので、どうしても選手本人の気持ち次第になってしまうのです。
とはいえ、サインをお願いすることは決して悪いことではありませんし、自分の応援するチームの、しかも小笠原というスター選手がいればサインをお願いしたくなる気持ちもわかるような気がします。

鹿島アントラーズはスタジアムも練習場もややアクセスが悪く、熱心なサポーターの方の中には遠方からはるばるやってきた、という方も珍しくありません。
そのため、なおさら選手からサインを貰いたい、という想いが強かったのかもしれません。
鹿島アントラーズでも小笠原はちょっと特殊な存在?
このような噂を聞くと、小笠原は無愛想な人間だと思われてしまうかもしれませんが、日本代表のチームメイトや鹿島アントラーズの後輩で、小笠原に対して深い尊敬の念を抱いている選手は少なくありません。
代表的なのは現在シャルケに所属する元鹿島アントラーズの内田篤人です。
内田篤人は鹿島アントラーズに入団して小笠原から深い影響を受けたことを公言しています。
普段はポーカーフェイスの小笠原ですが、上の内田篤人との写真では朗らかな表情を浮かべていますね。
内田篤人と良い関係性が築けているのだろうな、というのが伝わってきます。
恐らく、外面的に誤解を受けてしまうのでしょうが、中身は仲間思いで芯の強い男なのでしょう。
ちなみに内田篤人は特にファンサービスを大事にするタイプで鹿島アントラーズの練習の後や、試合後にはサポーターに丁寧に対応する姿が何度も目撃されています。
思えばキャリアの晩年を鹿島アントラーズで過ごした元ブラジル代表ジーコもサポーターを非常に大切にしていました。
小笠原はサインなどのファンサービスが苦手なようで、非常に誤解されやすい性格ですが、実は悪意を向けられたのは、これが初めてではありません…
小笠原が人々から誤解される理由…
サインを巡って一部のサポーターとの溝を深めてしまった小笠原満男。
実は対外的な対応に関しては、小笠原が問題を起こしたのはこれが初めてではありません…
2003年の天皇杯準決勝でセレッソ大阪と対戦した鹿島アントラーズ。
当時の鹿島アントラーズには24歳と若き日の小笠原がいました。
既に鹿島アントラーズでも主力で、日本代表にも招集されていました。
セレッソとの試合を終えた小笠原は非常に不満気にインタビューエリアに姿を現すと、憮然とした表情で受け答えしました。
こちらが、その時のインタビューの引用です。
インタビュアー:「アントラーズのサポーターのみなさんは再びこの国立に戻ってくることを期待していると思いますが、いかがですか?」
小笠原:「え?意味わかんないですけど…」
このインタビューは多くの人の記憶に残っているようで、現在もYoutubeでその一幕を見ることができます。
このやり取りは3回ほど繰り返され、インタビュアーの方も少々怒りを滲ませています…
サッカーは非常にアドレナリンを分泌させるスポーツで、基本的に試合後のインタビューというのは、かなり難しいものなのですが、さすがにこの時の小笠原の態度は度が過ぎました。

中村俊輔などのスター選手も非常にインタビュー嫌いで、あまり快活には喋らず、『記者泣かせ』の存在として知られていました。
当時のサッカー日本代表にはズバズバと物申す中田英寿、明るくインタビューに受け応えるのに苦がなさそうの稲本潤一や小野伸二がいましたが、小笠原は彼らとは180度違うスタンスでインタビューに臨んでいました。
ちなみにこの年の天皇杯の結果は、ホームでの初戦は勝利した鹿島アントラーズでしたが、アウェイでは敗れ、準決勝で敗退となりました。
いかにして小笠原は日陰の生活を過ごしたか?
サインの断り…
無愛想インタビュー…
色々な問題を起こしてきた小笠原ですが、やはり性格的にはあまり明るい方ではなく、社交的でもないようです。
2006-2007シーズンに鹿島アントラーズからイタリアのメッシーナにレンタル移籍し、9ヶ月間の間セリエAでプレーした小笠原。
しかし、この時には『日本人だから』という理由で酷い差別を受けたと言われています。
もちろんセリエAは決して簡単に適応し、活躍できる舞台ではなく、実力的な問題もあったのでしょうが、小笠原には不当な理由で出場機会が与えられない時期もあったと言われています。
結局、メッシーナでの挑戦は1シーズンで終わってしまっや小笠原は、2017年の夏から鹿島アントラーズに復帰しています。
このメッシーナでの不遇がきっかけで日本代表からも遠ざかり、その後は全く疎遠になってしまっています。
その代表でも2006年にはドイツワールドカップの23人のメンバーに選ばれましたが、ジーコ監督が標榜した、スター選手優遇路線の犠牲となり、ほとんど出番がありませんでした。
ジーコ監督は鹿島アントラーズの後輩である小笠原を信用せず、中田英寿、中村俊輔、稲本潤一、小野伸二からなる『黄金の中盤』の起用を重視しました。
恐らくジーコは鹿島アントラーズの後輩を試すよりも、自身の全盛期の想い出(ジーコ、ファルカン、トニーニョ・セレーゾ、ソクラテスからなる本家『黄金の中盤』)を日本代表の選手達に重ね合わせていたのでしょう。
確かに小笠原の実力を鑑みると、その能力の高さの割には日陰の存在として扱われてきた感は否めません…
小笠原のスターぶらない姿勢はスター偏重の考え方に対する不満があったようにも筆者は感じずにはいられないのです。
しかもジーコジャパンが黄金の世代の絶頂期で迎えたワールドカップで大失敗に終わったことを考えると、代表レベルでは悲運の男だったように思います。
ちなみに小笠原のサインは絶対に手に入らないわけではありません。
サインに快く応じてくれることもありますし、ヴィンテージもののサッカーユニフォームなどに足を運ぶと、小笠原のサインが入ったグッズを見つけることができます。
今回は鹿島アントラーズの小笠原のサインをめぐる問題についてお伝えしました。
正直なところ、筆者は小笠原のサインを断るという姿勢には、どこか人間臭さを感じて逆に好感度が上がってしまいます。恐らく、とても不器用な性格なのでしょう。もちろん自分が実際にサインを断られたら残念な気持ちも抱くのでしょうが…
そして、下のリンクでは2017年シーズンの鹿島アントラーズの背番号をお伝えしています。背番号10を背負ってきた柴崎岳が退団したことで、空位となりましたが、鹿島アントラーズにはまだまだ有望な若手が揃っています。誰のユニフォームを買うのか迷うのも、応援する楽しみの一つです。

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